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お正月に、近鉄に乗ってG7伊勢志摩サミットでも有名になった賢島の志摩観光ホテルに行きました。 こちらの写真は日没前にホテル屋上から撮った英虞湾の風景。 この屋上には、サミット開催中の24時間、オバマ大統領警護のためのアメリカからのスナイパーが配置されていたそうです。 志摩観光ホテルの650号室(現在はありません)は山崎豊子が多くの作品の執筆に使った部屋でもあり、『華麗なる一族』の冒頭は英虞湾に夕日が沈む景色から始まります。 <陽が傾き、潮が満ちはじめると、志摩半島の英虞湾に華麗な黄昏が訪れる。湾内の大小の島々が満潮に洗われ、遠く紀伊半島の稜線まで望まれる西空に、雲の厚さによって、オレンジ色の濃淡が描き出され、やがて真紅の夕陽が、僅か数分の間に落ちていく。その一瞬、空一面が燃えたち、英虞湾の空と海とが溶け合うように炎の色に輝く。その中で海面に浮かんだ真珠筏がピアノ線のように銀色に燦き、湾内に波だちが拡がる。> さすが山崎豊子の表現力です。 幾度となくホテルを利用した山崎豊子はホテル社内誌「浜木綿」創立三十周年記念号に『わが作品のふるさと』と題して寄稿し、この冒頭の文章を生み出した時のエピソードを次の様に述べています。 <何時間も、何日も、沈み行く夕陽を眺めた。そのあまりにも壮麗な自然の光景を文字にする術もなく、書いては消し、消しては書いて、何日目かに書き上げたのが、冒頭の数行である。この数行を書き上げた時の喜びは、今もって忘れられない。華やかに天を染め、燃えながら沈んで行く夕陽のすがたは『華麗なる一族』の象徴であり、作品の産声をそこに聞くことが出来たのだった。> 冒頭の英虞湾の黄昏のシーンに続き、志摩観光ホテルのダイニング・ルームで新年の晩餐会を開く万俵一族の様子が描かれます。 <明るく照らし出されたダイニング・ルームは、正面に新年らしく六双の金屏風がたてられ、その前に朱塗りの屠蘇台が飾られており、新年の装いを凝らした人々が、テーブルを囲んでいる。どのテーブルにも訪問着やカクテルドレスを着飾った女性たちの姿が見られたが、奥まった窓際のテーブルを囲んだ一組が、群を抜いて際立っている。それは関西の財界で名を知られている阪神銀行の頭取、万俵大介とその一族であった。> こちらがメイン・ダイニング。 サミットで使われた丸テーブルも展示されていました。 この金屏風、小説や映画に登場したものかもしれません。 山崎豊子が宿泊した部屋は無くなりましたが、使った机は今もホテルに保存され、公開されています。
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by seitar0
| 2026-01-11 19:53
| 山崎豊子
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ダン・ブラウン『インフェルノ』の前半では、ラングドンとシエナはヴァザーリ回廊を通ってヴェッキオ宮殿の五百人広間に向かいました。 ところで、上の図でわかるように、メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵するウフィツィ美術館の3階(イタリアでは2階)の回廊はヴァザーリ回廊の一部なのです。 映画ではラングドンはウフィツイ美術館の回廊を素通りしてしまったのですが、古代ギリシア、古代ローマ時代の彫刻から、ボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラッファエッロらイタリア・ルネサンスの巨匠の絵画を中心に、系統的に展示されているこの美術館を紹介せずに通りすぎるわけにいきません。 こちらのオフィシャルガイドなどを参考にしながらご紹介しましょう。 まず厳重なセキュリティチェックを受けて入場します。 こちらが3階の回廊で、全てで45室ありますから、見て回るのも大変です。有名な絵画などをいくつかご紹介しましょう。 まずはボッティチェッリの大部屋へ。 上の配置図の10-14号室では、あまりにも有名なボッティチェッリの作品の数々が鑑賞できます。 まず『プリマヴェーラ(春)』この作品は、神話の登場人物たちが織りなす「春の訪れ」を祝う優美な寓意画です。 次に『ヴィーナスの誕生』この作品は、愛と美の女神ヴィーナスが誕生し、帆立貝に乗って岸辺に流れ着いた瞬間を描いたルネサンス期の傑作です。 ウフィツィ美術館の同じ部屋で、この2枚を同時に見られるのは本当に贅沢な体験でした。 こちらはボッティチェッリの名作、『受胎告知(チェステッロの受胎告知)』。聖書の中でも特に重要な「天使ガブリエルがマリアにキリストの懐妊を告げる場面」を描いたものです。 こちらもボッティチェッリの『チェルロ・ア・サン・マルティーノの受胎告知』。天使ガブリエルがダイナミックに空から舞い降りる様子と、寝室の入り口で慎ましく受胎を承諾するマリアが対照的に描かれています。 最後にご紹介するのは、ボッティチェッリによる傑作、『東方三博士の礼拝』。 新約聖書の一場面で、イエス・キリストの誕生を祝うために、東方からやってきた3人の賢者が贈り物を持って訪れる場面を描いています。中央の崩れかけた古代建築の遺構は、キリスト教の誕生によって古い世界(異教の時代)が終わり、新しい時代が始まることを象徴しているそうです。 この絵が有名な最大の理由は、登場人物に当時のメディチ家の人々の肖像が描き込まれていることです。中央の 聖母子の前でひざまずき、幼子イエスの足に触れている老人は、メディチ家の繁栄の礎を築いたコジモ・デ・メディチ(国父)がモデルです。 中央でひざまずく他の二人の賢者はコジモの息子たち(ピエロとジョヴァンニ)がモデルとされています。また画面左側で黒い服を着て立っている若者は、若き日のロレンツォ・デ・メディチ(豪華王)だと言われています。 さらに興味深いのは、画面の一番右端にボッティチェッリ自身の自画像が描かれていることです。右端に金茶色の重厚なマントを羽織り、鑑賞者の方をじっと見つめている男性がいます。これが作者ボッティチェッリ自身の自画像であるというのが定説です。彼はこの絵を描くことで、メディチ家という強力なパトロンとの親密な関係を誇示したのです。 #
by seitar0
| 2026-01-04 19:07
| 海外
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ダン・ブラウンの小説『インフェルノ』では、突然、追っ手から殺されそうになったハーバード大学教授ロバート・ラングドンは女医のシエナ・ブルックに助けられ、ヴァザーリ回廊を通ってヴェッキオ宮殿へ向かう場面が描かれています。 二人はヴェッキオ宮殿の「五百人広間」に行き、ジョルジョ・ヴァザーリの『マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い』の壁画の軍旗の文字に「CERCA TROVA」という隠された暗号を探し出します。 小説『インフェルノ』からです。 <かつて、五百人広間は世界最大の広間だった。1494年に大評議会の全体会議用に造られたこの広間は、フィレンツェ共和国の大評議会の定数がちょうど五百人だったことがその名の由来になっている。後年、コジモ一世の命により広間は改装され、大幅に拡張された。> ![]() 五百人広間はヴェッキオ宮殿の二階に位置し、上の図の①の部分です。 ![]() 小説の説明の通り、宮殿最大の、54m×23mの広さを持つ五百人広間は、大会議の会場として計画されたものです。元々は1494年にシモーネ・デル・ポッライオーロによって建てられ、1560年代にコジモ1世・デ・メディチの治世下でジョルジョ・ヴァザーリによって拡張されました。 ![]() 格子天井には、コジモ1世の戴冠の様子を中心にフィレンツェンの歴史を描いた39枚のパネルが飾られています。 ![]() <ラングドンはゆっくりと目をあげて広間を見渡した。躍動感あふれる六つの彫刻―ヘラクレスの功業を題にとった彫像群―が壁に沿って並ぶさまは、兵士の一団を思わせる。悪評高きヘラクレスとディオメデスへは、つとめて視線を向けないようにした。> ![]() 写真の右奥の像が、ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ 「ディオメーデスを馬小屋に投げ込むヘラクレス」です。 <はるかに目に心地よいのが右手にあるミケランジェロの傑作「勝利」の像で、こちらは南壁の中央に鎮座している。高さは九フィート近くあり、当初は超保守的なローマ教皇ユリウス二世 ―を恐るべき教皇― の墓所を飾るために作られた。> ![]() シエナの戦いの真ん中の絵の下に、ミケランジェロの「勝利」の像が飾られていました。小説で説明されているように、この像は元々、教皇ユリウス2世の墓碑のために制作されたものです。 そしてラングドンはヴァザーリの「マルチャーノの戦い」の壁画に「チェルカ・トローヴァ」の文字を見つけます。 ![]() <「だが、あの壁画が」ラングドンははるか右にある絵を指さした。「われわれのめざすものーヴァザーリの“マルチャーの戦い”だ」軍勢の衝突を描いたその壁画は、あまりにも大きい ―幅は五十五フィートで、高さはは建物三階ぶんに及ぶ。そこには、ひなびた丘で激しくぶつかり合う幾多の兵士、馬、槍、軍旗が、茶と緑の赤みがかった色彩で描かれている。> ![]() 上のフラスコ画の右上に描かれているはずですが、私も見つけることはできませんでした。 <ラングドンはうなずいて、巨大な壁画の上部にしっかり目を向け、緑色の軍旗を探した。ヴァザーリはそこに謎めいたメッセージを描き込んだ ―“チェルカ・トローヴァ”と。> 次のサイトにcerca trovaと記された緑の旗の写真とともに解説されていましたので、引用し、紹介しておきます。 https://www.florenceinferno.com/the-battle-of-marciano/ ![]() <フレスコ画の中央上部にある緑の旗には、「 cerca trova(見つけよ、さすれば見つかる)」という言葉が記されています。双眼鏡がなければ、この言葉を見ることはほぼ不可能です。この 緑の旗はシエナ軍の所有物であり、インスピレーションを得るためにダンテの詩句が幾つか掲げられていました。コジモ1世公爵は、シエナ軍が「敗北」に見舞われたことを皮肉を込めて表現するため、「cerca trova(見つけよ、さすれば見つかる)」という一文を絵画に取り入れることを希望しました。> 小説『インフェルノ』では、「cerca trova」という言葉が重要な役割を果たし、主人公のロバート・ラングドンをダンテのデスマスクへと導きます。 ヴァザーリは、元々ここにあったレオナルド・ダ・ヴィンチの有名なフレスコ画”アンギアーリの戦い”を壊さずに保存するために、壁の上に2枚目の壁を造らせ、そこに壁画を描いたと、多くの人に信じられ、CERCA TROVAという文字は裏側にあるレオナルドの絵を指し示す為のメッセージとも言われているそうです。 小説を読んで、ヴェッキオ宮殿を巡ると面白くてなかなか次に進めません。 #
by seitar0
| 2025-12-31 16:47
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ダン・ブラウン『インフェルノ』のラングドンとシエナの逃亡場面からです。 ![]() 病院で銃撃されたラングドンは医師シエナ・ブルックスの手を借り、「地獄の見取り図」の映像の謎を解くため、ビッテイ宮殿からヴェッキオ宮殿へ向かう場面です。 <ヴァザーリ回廊はメディチ家当主であったトスカーナ大公コジモ一世の依頼を受けて、1564年にジョルジョ・ヴァザーリが設計した。私邸のビッティ宮殿からアルノ川を渡って執政所のヴェッキオ宮殿へ至るまでを、コジモ一世が安全に通るために造られたものだった。> ![]() ラングドンとシエナは上の図の約1kmにわたるヴァザーリ回廊を右側のビッテイ宮殿から左側のヴェッキオ宮殿へ向かったのです。 <ふたりは窓へ近づいて外をながめ、自分たちがいまヴェッキオ橋の上にいるのを見てとった。旧市街への人道橋として使われている中世の石橋だ。下では、この日の最初の観光客が、十五世紀から続く橋上市場を見物していた。いまは宝飾店の店ばかりが並んでいるが、昔からそうだったわけではない。> ![]() 上の写真がアルノ川にかかるヴェッキオ橋。橋の上の建物の一番上がヴァザーリ回廊になっています。 ![]() 橋の上はこのように両側にお店が並び、とても橋の上とは思われません。 ![]() その真ん中に立つブロンズの胸像は、16世紀に活躍した彫刻家ベンヴェヌート・チェッリニの記念碑です。 ![]() 元金細工師の職人で、代表作はシニョーリア広場にあるペルセウス像。 ![]() 上の写真はヴェッキオ橋の中央から見たグラツィエ橋です。 いよいよヴェッキオ宮殿に到着です。 <ヴェッキオ宮殿は巨大なチェスの駒に似ている。それは堅牢な四角形のファサードと、上部に凹凸のある粗面仕上げの胸墻を備えた、ルークの駒を思わせる堂々たる建築物で、シニョーリア広場の南東の角を護るように立っている。四角い要塞の中央から立ちあがる風変わりな一本の尖塔は、空を背景に独特の輪郭を作り出し、フィレンツェの無二の象徴となっている。> ![]() シニョーリ広場から見上げるヴェッキオ宮殿。 ![]() ![]() 私が訪ねた時はちょうどパレードが催されていました。 <フィレンツェ共和国の威厳ある政庁舎として建てられたこの宮殿を訪れる者は、雄々しい彫像の数々に圧倒される。アンマナーティの作である。四頭の海の馬を踏みしめるたくましいネプチューンの裸像は、フィレンツェによる海の支配の象徴だ。> ![]() この彫刻はギリシャ神話に登場する海を支配する王様ネプチューンが海馬に乗って凱旋している様子。 <宮殿の入口では、ミケランジェロのダヴィデ像 ―まちがいなく世界で最も賞賛されている男子裸像―の複製が、栄光に満ちた立ち姿を披露している。ダヴィデ像の横にはヘラクレスとカークス像―さらにふたりの裸の大男を刻んだ像 ―があり、ネプチューンの噴水に配されたいくつものサテュロスの像と合わせて、総数一ダースを超える露出したペニスが観光客を出迎えることになる。> ![]() 宮殿の前にある複製のダヴィデ像。 ![]() 宮殿前のシニョーリ広場はあたかも古代およびルネサンス美術の野外彫刻展示場です。 #
by seitar0
| 2025-12-09 17:04
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ダン・ブラウンの小説の舞台として登場していたフィレンツェを巡りました。 ダン・ブラウン『インフェルノ』は、主人公のハーヴァード大学教授・ラングドンが目覚めると、アメリカにいたはずが、窓からヴェッキオ宮殿が見え、フィレンツェの旧市街にいたという場面から始まり、フィレンツェの街は次のように紹介されています。 <自分はなぜフィレンツェにいるのだろう。イタリア美術に長年心を寄せてきたラングドンにとって、フィレンツェはヨーロッパのなかでも特に好んで訪れる場所のひとつなっていた。ここはミケランジェロが幼少期に路地裏で遊び、のちにその工房でイタリア・ルネサンスを開花させた街だ。そう、ここフィレンツェ。あまたの美術館が数かぎりない旅行者を惹きつけ、ボッティチェルリの「ヴィーナス誕生」やダ・ヴィンチの「受胎告知」、そして市民の大いなる誇りと喜び「ダヴィデ像」に感嘆の声をあげさせる街だ。> ウフィッツィ美術館にあるボッティチェルリの「ヴィーナス誕生」。 同じくダ・ヴィンチの「受胎告知」。 アカデミア美術館にある「ダヴィデ像」。 ラングドン教授は目覚めた病院で暗殺者に襲われ、若い女性医師のシエナがラングドン教授を助けて病院から逃走します。ラングドン教授には襲撃される覚えはなく、なぜフィレンツェに居るのかも分からず、ポケットを探ると、謎の金属の円筒が出てきます。そこには謎解きのヒントが隠されており、ラングドン教授は追っ手を逃れ、ロマーナ門からボーボリ庭園を抜けヴェッキオ宮殿に向かいます。 <フィレンツェはかつて城壁に囲まれた街で、1326年に建設された石造りのロマーナ門が主要な出入り口だった。城壁の大部分は百年以上前に取り壊されたが、ロマーナ門は現在も残っていて、歩行者も車両も、巨大な砦にくりぬかれたアーチ形の門をくぐって旧市街に出入りしている。> ヴェッキオ宮殿に入ると、フランチェスコ・ロッセリが1490年に描いたフィレンツェの眺望が展示されていました。地図の枠が鎖の形をしていることから「カテナ(鎖)」と呼ばれています。 この頃、フィレンツェが城壁に囲まれていたことがよくわかります。 そして絵の右下の隅にロッセリ自身が写生している様子が描かれていました。 <門自体は五十フィートの高さで、古い煉瓦と石材でつくられ、いちばん大きな通路にはいまでも分厚い木の扉がついているが、人や車の往来のために終日あけ放たれたままだ。この門を中心にして六つの主要道路が交わり、芝のロータリーにはピストレット作の大きな彫像が鎮座している。ひどくかさばる荷物を頭に載せて、門から去ろうとする女の彫像だ。> 現在も残っているロマーナ門です。ラングドン教授とシエナは小説では三輪バイクで、映画では車でここまで来て、イタリア軍警察の検問を避けて、ボーボリ公園を横切り、ヴェッキオ宮殿に向かうのです。
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by seitar0
| 2025-11-24 20:05
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