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ホテルニューグランドの西洋料理について、横浜生まれの作家・獅子文六は『続・飲み・食い・書く』の中でこう称えています。 <戦前、このホテルにはワイルという有名なスイス人のコックがいて、仏・伊料理が得意だった。格調ある料理で、あれだけのものはその頃、東京では食えなかった。> そのホテルニューグランドから、日本全国に広まった伝統料理が三つあります。 一つ目は、初代総料理長サリー・ワイルが体調を崩した外国人客のために考案したシーフードドリア。二つ目は、二代目総料理長・入江茂忠が接収時代に生み出したスパゲッティ・ナポリタン。そして三つ目が、アメリカ人将校夫人たちを喜ばせようと、パティシエが考案したプリン・ア・ラ・モードです。 これらの伝統料理が次々と誕生した背景には、サリー・ワイルの「西洋料理」への柔軟で革新的な考え方があったように思われます。 サリー・ワイルは1927年ホテルニューグランドの開業にあたりパリのホテルより招聘され、30歳の若さで初代総料理長に就任しました。 神山典士『初代料理長サリー・ワイル』からです。 <もう一つ、オープンに際して期待以上の好評を博したものがある。それは、フランスから招いた若きスイス人シェフ、サリー・ワイルの働きだった。オープンの約一か月前に来日したワイルは、着任早々ホテルに対して一つの提案をしている。「一階の酒場になる予定の部屋をグリルルームにしよう」酒場のカウンターを部屋の左隅に押しやり、軽い食事や飲み物を摂れるレストランを海岸通りに面した一階につくろうという提案だった。今聞けば驚くにあたらないが、それは当時の西洋料理界においては「革命」的な提案だった。> 上の写真の角の一角にあるザ・カフェはワイルの提案によってできたカフェレストランだったのです。 <もちろん「グリル」という言葉も日本にはなかった。だから、およそワイルの提案は、常識やぶりだったことになる。「グリルでは一品料理も出しましょう。お客様は欲しい料理だけを注文すればいい。コートを着たままでも、ネクタイ等の正装でなくてもいい。料理の途中でお酒を飲んでも、タバコを吸っても構いません。料理を気軽に楽しんでもらえるレストランにしましょう」ワイルはそう進言し、オープンまでに一階正面左側の部屋を改装させた。> こうして生まれたグリルルームは、当時の日本では珍しい自由でカジュアルなレストランでした。格式ばかりを重んじていたホテルレストランに、パリの下町のような開放的な空気を吹き込み、アラカルト注文やドレスコードの緩和など、「お客様本位のサービス」を実践したのです。 私もこれまで、ホテル発祥のシーフードドリアとスパゲッティ・ナポリタンは味わってきました。そこで今回は、三つ目の伝統デザート プリン・ア・ラ・モード に挑戦しました。 このデザートは戦後の接収時代、甘いもの好きのアメリカ人将校を喜ばせようと、当時のパティシエが創作したものです。 自家製プリンとバニラアイスに、色とりどりのフルーツを綺麗にカットして盛り合わせ、真っ赤なチェリーを添えた華やかな一皿。 脚付きの横長ガラスの器――“コルトンディッシュ”に盛られ、その見た目もまさに“ア・ラ・モード(流行の)”でした。 ホテルの公式サイトには、こう解説されています。 <「向こう(アメリカ)のデザートは、本当に“ドーンッ”といった感じで出てきますよね。 プリン一個だけというわけにはいきません。そこで、アイスクリームやアメリカから送られてきた缶詰の果物と組み合わせて出したんです」ただ、これだけの量のデザートを従来のデザート皿にのせるのは難しかったため、コルトンディッシュという特殊な器に盛りつけて供されました。> プリン・ア・ラ・モードはやがて、全国の喫茶店でも定番デザートとして愛されるようになりましたが、2010年代以降になると「絶滅危惧種」と呼ばれることもあり、今ではなかなか味わえません。 ちなみに、これによく似たデザートに、アメリカ・ペンシルバニア州で20世紀初頭に生まれたバナナスプリットがあります。 『会話が続く!リアル旅英語』でも紹介されており、サマー先生が “I haven’t had a banana split in a long time.”と話していました。 アメリカ本場のバナナスプリットは、まさに「ドーンッ」としたボリューム感。見た目も味も豪快そのものです。 さて、あなたはどちら派ですか? 繊細で上品なプリン・ア・ラ・モード、それとも陽気で甘いバナナスプリット?
by seitar0
| 2025-11-11 10:47
| 横浜
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