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ダグラス・マッカーサーは熱心なプロテスタント信徒で、日本を統治する中で、2500人もの宣教師を日本に入国させたり、1000万冊の日本語訳聖書を配布したりして、キリスト教を基盤とした西洋文明の定着を図りました。 ![]() しかし、何とそのマッカーサーが、昭和20年9月2日の戦艦ミズーリでの降伏調印式を終えて、お忍びで米軍将官を従えて鎌倉鶴岡八幡宮を参拝していたのです。 玉岡かおるさんの小説『負けんとき』では、献堂式に出席するため神戸女学院を訪れたウィリアム・メレル・ヴォーリズが妻の満喜子とともに岡田山キャンパスの敷地内に残された廣田神社の摂社、岡田社の前に立ち、柏手を打つ場面が描かれていますが、これは創作です。(記録ではヴォーリズは神戸女学院の献堂式には出席していません) プロテスタントでは許容されるのかもしれませんが、私にはクリスチャンが神社を参拝するなど想像もできないことです。マッカーサーは何故鶴岡八幡宮に詣でたのでしょう。 河原匡喜『マッカーサーが来た日』に、昭和20年9月18日付読売報知新聞に掲載されたマッカーサーの鶴岡八幡宮参拝の記事が紹介されています。 ![]() <九月二日、降伏調印式の日である。「その日午後三時ごろ、鎌倉鶴岡八幡宮社前三の鳥居前に十四名の米軍将官を乗せた濃緑色の自動車がゆるゆると止まった。一行は“馬車の乗り入れを禁ず”と書かれた制札を見ると自動車から降り、長い砂利道を踏んで拝殿前に参進、先頭の将軍が恭しく挙手の礼拝をすると(それがマ元帥であることが後になって知れた)他の将軍たちもそれに倣って厳かな参拝を行った。参拝を終わると元帥は神札授与所で白羽の“破魔矢”の授与を乞い、他の幕僚達の手にもそれぞれ一本の破魔矢が渡された。そうして再び拝殿に向かって礼拝すると一行は静かに長い石段を下った。その間元帥の厳粛な態度は聊かも崩れなかった。」> ![]() <マッカーサーは宮司に自分は四十年前に参拝したと話している。昭和二十年の四十年前、日露戦争の終わった翌年の明治三十九年である。父アーサー・マッカーサーの副官として日本に来た年であった。> マッカーサーは連合軍総司令官として日本に来るまでに、何度も日本の土を踏んでいました。 明治36年ウエストポイントの陸軍士官学校を首席で卒業した後、明治39年父親が駐日大使館付武官に就任したとき副官として駐在、昭和10年フィリピンの軍事顧問として日本軍人を訪ねたとき、昭和12年二度目の結婚相手のジーン夫人とホテル。ニューグランドに宿泊。 これらの経験からマッカーサーは東洋の文化に精通し、理解していることを自認していました。さらに『マッカーサー回想録』には日本国民特有の“武士道”と呼ばれる伝統的な騎士道精神を理解し、それを確信していたと書かれています。 ![]() 『武士道』を著した新渡戸稲造もクリスチャンでしたが、「武士道の源はどこにあるか」によれば、「仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえる。具体的にいうならそれは危機や惨禍に際して、常に心を平静に保つことであり、生に執着せじ、死と親しむことであった」。また「仏教が武士道にあたえられなかったものは、日本古来の神道がそれを十分に補った。他のいかなる宗教から教わらないような、主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝心などの考え方は、神道の教義によって武士道へ伝えられた」、「武士道は、道徳的な教義に関しては、孔子の教えがもっとも豊かな源泉となった」と述べられており、、武士道はいわば、仏教、儒教、神道の影響を受けて形成されているとしているのです。 この日本人の思想をリスペクトしていたマッカーサーだから将官を連れて鶴岡八幡宮に参拝したのでしょう。鶴岡八幡宮は、武家社会の起点となる鎌倉幕府を築いた源頼朝の祖先源頼義が、京都の石清水八幡宮を勧請し、源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀ったことに始まります。その後、源頼朝が現在の地にお還しし、鶴岡八幡宮の基礎を造ったのです。マッカーサーはそのような歴史も知っていて、破魔矢まで授かったのでしょう。
![]() 日本の文化を理解していたマッカーサーだからこそ、日本の天皇制が維持されたのかもしれません。
by seitar0
| 2025-11-04 14:34
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