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須賀敦子のエッセイ集『時のかけらたち』「アラチェリの大階段」の冒頭では、スカリナータ(Scalinata)というイタリア語の説明から始まります。須賀さんはふつうより大きくてモニュメンタルな階段のことと解釈され、スカリナータという言葉にこだわる理由について、 <このことばが、まっすぐに私をローマのスペイン広場から見上げたところにある、あの、どこかほんのりとあたたかい色調を帯びた、トラヴェルティーノ石の大階段に連れ戻してくれるからだ。>と留学時代の懐かしい記憶をからめ、スペイン階段について語っています。 スペイン階段と言えば、私など1953年に公開された映画「ローマの休日」で、アン王女役のオードリー・ヘプバーンが、短く髪を切り、ジェラートを食べているところに、アメリカ人新聞記者役のグレゴリー・ペックが下りてきて、偶然に出会ったふりをする場面です。 須賀さんは続いて、 <スペイン広場からスカリターナの頂上にそそりたつトリニタ・デイ・モンティ教会をながめると、様式の不揃いな二本の塔が、暗いほど青いあのローマの空を背にきらめいている。>とその情景を描き、1954年の春、はじめてスペイン広場から白い階段を見上げたときの記憶と重ねます。 更にアンデルセンの『即興詩人』にまで話は及びます。 上の絵は安野光雅の繪本「即興詩人」より <スペイン広場の大階段は、そのころ、勉強のあいまに読み返していた『即興詩人』の恐ろしげな乞食の群れの話にもつながっていた。私があの街で暮らしはじめた50年代の終わりごろには、まだ、群れとまではいかなくても、物乞いの人たちが、都心の路傍でからだの障害をみせびらかすかのよにして、通行人の施しを乞うているのに出会った。> そしてイタリアを実際に訪れたことがなかった森鴎外が『即興詩人』をどう考えていたのだろうと、スペイン階段の翻訳に触れています。 <わが穉(おさな)きころ、わがためにおほいなる意味ありと覺えし第三の人はペツポのをぢなりき。惡人ペツポといふも西班牙磴(スパニアいしだん)の王といふも皆その人の綽號(あだな)なりき。此王は日ごとに西班牙磴の上に出御(しゆつぎよ)ましましき。(西班牙廣こうぢよりモンテ、ピンチヨオの上なる街に登るには高く廣き石級あり。この石級は羅馬(ロオマ)の乞兒(かたい)の集まるところなり。西班牙廣こうぢより登るところなればかく名づけられしなり。)> 須賀さんは、鴎外がスカリナータの翻訳に込めた思いを次のように解釈されています。 <スカリナータを磴という漢字に「いしだん」と仮名を振り、あるいは「高く廣き石級(せっきゅう)あり」とするなど、鴎外には、原書としたドイツ語訳の「格調」を日本語に移し変えようと、けんめいになっている。だが、それだけだろうか。私には、若い彼が取り組まねばならなかった欧米の言語の複雑なシンタックスの重層性を、そしてまた、彼がかつてヨーロッパで目にし、見上げた、かずかずの建築物の、石の量感、構造の重層性を、そのまま文体にあらわそうともがいているよおうに思えるのだ。> イタリア文学の翻訳者としても注目されていた須賀さんの翻訳へのこだわりが伝わってきました。 須賀さんと『即興詩人』の出会いは、エッセイ集『遠い朝の本たち』「父ゆずり」の中で述べられており、ここに引用しておきます。 <父は、外国文学を勉強していた私のことを、日本語がだめになるといって、たえず不安がった。『即興詩人』を読め、と何度いわれたことだろう。あまりたびたびいうので、そのときによって、ちゃんと読んだこともあるし、読みましたとか、読んでます、とかいってごまかしたこともあった。『即興詩人』は意訳・誤訳が多くて、原文には忠実でないそうです、などとどこかで読んだことを受け売りして、ばか、とたしなめられたこともあった。ローマに留学したとき、最初に父から届いた小包は、岩波文庫の『即興詩人』だった。「この中に出ている場所にはみんあいってください」という、ほとんど電報のような命令がページにはさんであった。> 何とほのぼのとした父娘の関係でしょう。父の娘を思いやる気持ちが伝わってきます。
by seitar0
| 2025-09-03 21:25
| 須賀敦子
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