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須賀敦子さんが幼年時代を過ごした精道村の家の庭について、明確な三つの区画があって、その一つ一つが独立した三つの世界をかたちづくっていたと述べています。 <まず、一番目の庭には、祖母がいた。前裁、と彼女が呼んだ、石灯籠や手水鉢や飛び石のある、座敷に面したレトリカルな庭で、灯篭のうしろの朽ち木には、まっくろなカラスアゲハ(叔父たちはカミナリ蝶とか、ただ単にカミナリとか呼んでいた)が飛んでくる真夏のころ、赤いノウゼンカズラの花が咲いた。> この一番目の庭は、地図を見ると家屋の南側のメインの庭と思われ、この部分だけでも大した広さです。 <私たちの子供のときの写真は、たいてい、この庭か、庭に面した座敷の縁側で撮っていて、私も妹も、八歳年上だった小さい叔父も、両手をわきにぴったりとつけて、なにかよそゆきふうの、恐縮したような笑い顔で写っている。よそゆきの顔になっているのは、そこが祖母の庭だという意識が透明な切手みたいにあたまのどこかにへばりついていたからかもしれない。> 上の写真も精道村の家の前裁と呼ばれた祖母の庭で撮られた家族写真です。 <二番目の庭は、勝手口のわきにあって、一列に並んだスギが、となりの一段高いところにある大麦畑から吹き付ける北風をさえぎっていた。スギの木の横で、母や叔母たちが、お天気のいい日には、ほどいて洗った着物やふとん地の「張り物」をすることがあって、ハンモックのように木から木に渡した布地から、それまで浸してあったノリの水分がぽとぽと落ちて、白く乾いた地面に黒いシミをつけた。> 二番目の庭は建屋の北側になりますが、杉が並び、その北側は大麦畑だったことがわかります。その北側が「お山の幼稚園」でした。 <そして三番目の庭。いま、三つの庭のなかのどれかひとつあげるとしたら、私は躊躇しないでこの庭をえらびそうな気がする。それは家屋の西側にあって、竈のある古風な台所の土間を抜けて、風呂の焚き口のうしろ、白壁の土蔵のわきに出たあたりからはじまっていた。塀に沿って一列にミカンが植わっていたが、風呂場の方から数えて五、六本目あたりでミカンの列は切れ、一本だけ夏ミカンの低い木が、枠のついた溜め池の濁った水のうえに枝を伸ばしていた。そのあたりには、ネギやミツバなど、ちょっと薬味に使うような野菜を祖母が植えさせていて、一本だけあった柿の木には渋柿がなった。> 精道村明細図で、須賀邸の斜線が施された四角の部分が土蔵だったのでしょう。 <英語のオーチャードとか、フランス語のポタジェ、イタリア語のオルトなどは、辞書でひくと、果樹園とか、野菜畑とか、菜園とかあるが、芦屋の家の三番目の庭が、まさにそれに相当するものだった。> 須賀さんは東京の家に越してから、いちばん思い出したのは、この三番目の庭と言われており、この庭が須賀さんのお気に入りの庭だったようです。
by seitar0
| 2024-07-13 10:48
| 須賀敦子
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