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須賀敦子さんは小学校時代には「小学〇年生」という学年別の月刊誌を取ってもらっていたことを「『サフランの歌』のころ」で述べられています。 小学館の学年誌が生まれたのは、大正11年、私立の学校が多数設立され、世の受験熱が高まっていた時代でした。読者対象は中学受験を控える子どもたちで、まず発刊されたのは『小学五年生』『小学六年生』、そこから『小学四年生』『せうがく三年生』が発刊。大正14年には、『セウガク二年生』とともに、『セウガク一年生』が刊行されています。 しかし、須賀敦子さんの子供時代の評価はあまりよくありません。 <その雑誌には、どこか、教壇で間のぬけた冗談を口にしてとくいになる先生に付き合っているみたいなところ、勉強をすきにならせようとする「陰謀」みたいなものが底にひそませてあるのを、私たちは嗅ぎつけて、こころのどこかで軽蔑していた。> おませな須賀さんは学習誌の「陰謀」に気づいていたようです。 女学生になった須賀さんはお母様に頼んで、「少女倶楽部」に変えてもらったのですが、それも気に入らなかったようです。 <もともと「少女倶楽部」にして、と母に頼んだのは、自分本人だったくせに、そしてとどいたときは、自分が妹よりずっとおとなになったみたいでうれしかったのに、読んでみると、これといっておもしろいところはなにもなく、なあんだとがっかりした。それまでの学年別の雑誌とおなじように、読者を笑わせようとする調子がありありで、たちまちしらけてしまったのだ。> 『少女倶楽部』は講談社が1926年に創刊し、1946年に雑誌名を『少女クラブ』に改め、1962年に廃刊となっています(『週刊少女フレンド』へと発展)。 <学校の帰り道に、そのころ開店したばかりの本屋の店先でいろいろ読みくらべてみると、おなじ少女向きでも、「少女の友」という雑誌のほうが、さし絵もしゃれていて、ずっと高給に思えた。これは妹も同じ意見だった。「少女倶楽部」のほうは、いまならダサイとでもいうのだろう。一種の少女向け情報誌じみたものではなかったか。「少女倶楽部」はつまらない、と私はたちまち確信してしまった。> 『少女倶楽部』は『少女の友』とは対照的に映画俳優や歌劇のスターを取り上げることはなく、紙面では良妻賢母的な人物が紹介され、保護者からも支持を受け、発行部数第1位を維持したそうで。 <この雑誌がどうしても欲しかった理由はいくつかあったが、まず、「少女倶楽部」にくらべて「友」のほうは表紙からしてずっと都会的だった。そのうえ、着るものはなくなる、食べるものも満足にない日常で、現実がどちらを向いても灰色の壁にぶつかっているような時代に、この雑誌はそれを超越して私たちをある愉楽の世界にさそってくれていた。> 『少女の友』昭和15年1号の目次です。 やはり少女たちの人気を博しそうです。 『少女の友』は、実業之日本社が発行していた少女向け雑誌で、明治41年創刊、昭和30)に休刊しています。掲載された小説で人気の高かったのは吉屋信子と川端康成で、川端康成の『乙女の港』は中原淳一の挿絵の魅力とあいまって一大ブームを巻き起こしたそうです。
by seitar0
| 2024-06-04 21:16
| 須賀敦子
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