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村上開新堂からさらに北へ向かうと新島襄の旧宅があります。 この場所は同志社英学校が開校した際に仮校舎として借家した高松保実邸の跡で、外観はコロニアルスタイルの洋風ですが、造りの基本は和風寄棟住宅になっています。 三方にべランダをめぐらし窓には鎧戸をつけ、白い壁面に茶褐色の木部を見せる簡素な二階建住宅です。 日本人のために建てられた和洋折衷の木造二階建て住宅として、また、同志社創立者の旧居としての価値が認められ、昭和60年に京都市指定有形文化財に指定されています。 寺町通はその名にふさわしく、御所のあたりから北へ進むにつれてかなりの寺院が残っています。 更に北に進むと、紫式部旧宅跡の石柱が立つ廬山寺があります。 もともとこの地は、紫式部の曽祖父である藤原兼輔の邸宅があったところです。 幼い頃に母(藤原為信女)を亡くした紫式部は、ここで父藤原為時に育てられ、藤原宣孝との婚姻生活を送り、一人娘・賢子(大弐三位)を育て、『源氏物語』を執筆したと伝わっています。ただ、宣孝との結婚は、宣孝が通ってくる「通い婚」でした。 本堂の阿弥陀様にお参りをしてから、「源氏の庭」に臨む縁台に移りました。 1965年(昭和40年)、考古・歴史学者の角田文衞により考証され、紫式部邸宅跡を記念する顕彰碑が建てられています。 本堂入り口付近に紫式部の歌碑があり、紫式部と娘の大弐三位(賢子)の歌が書かれています。 めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月影 (紫式部) 有馬山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする (大弐三位) 蘆山寺の寺町通の反対側にある梨木神社は、藤原良房の娘明子(染殿皇后)の里御所の趾で、『源氏物語』に登場する花散里が住んでいた麗景殿女御邸や空蝉が住んでいた中川家の跡ともいわれています。 境内には約500株の萩が植えられ、萩の名所としても知られており、湯川秀樹の歌碑が参道入口にありました。 千年の 昔の園も かくやありし 木の下かげに 乱れさく萩 湯川秀樹 湯川秀樹は梨木神社の「萩の会」初代会長でした。 これは梨木神社が社殿の改修費用等にあてるため、60年の定期借地権で貸したもので、開発業者は60年後に更地にして返す契約になっているそうです。
by seitar0
| 2024-01-31 21:52
| 京都
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