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遠藤周作の小説『母なるもの』では、小説家である「私」が「かくれ切支丹」の住んでいた長崎のある島へ取材に行くのですが、その途中途中に遠藤周作の母郁をモデルにした母親の姿が描かれています。 この作品に描かれた母親の姿を追ってみましょう。 <小学生時代の母のイメージ。それは私の心には夫から棄てられた女としての母である。大連の薄暗い夕暮れの部屋で彼女はソファに腰をおろしたまま石像のように動かない。> そして昭和8年遠藤周作10歳のとき、父母の離婚により、夏休みに母に連れられて兄とともに帰国。神戸市六甲の伯母(母の姉)の関川家で一夏同居後、西宮市夙川のカトリック教会近くに転居しています。 中学時代の母の思い出を遠藤は次のように述べています。 <冬の朝、まだ凍るような夜明け、私はしばしば、母の部屋に灯がついているのをみた。彼女がその部屋の中で何をしているのかのを私は知っていた。ロザリオを指でくりながら祈ったのである。それからやがて母は私をつれて、最初の阪急電車に乗り、ミサに出かけていく。誰もいない電車の中で私はだらしなく舟をこいでいた。だが時々、眼をあけると、母の指が、ロザリオを動かしているのが見えた。> 昭和14年遠藤周作14歳中学四年の時、宝塚市仁川の月見ヶ丘に転居しており、その頃阪急の一番電車に乗って、夙川か小林のミサに出かけていたのでしょう。 中学時代の遠藤は「母に嘘をつくことをおぼえた」と述べているように、友人と母に隠れて遊びます。 <級友で田村という生徒がいた。西宮の遊郭の息子である。いつも首によごれた繃帯をまいて、よく学校を休んだが、おそらくあの頃から結核だったのかもしれない。優等生から軽蔑されて友達も少ない彼に私が近づいていった気持ちには、たしかにきびしい母にたいする仕返しがあった。> 吉田初三郎の昭和11年西宮市鳥瞰図には遊郭と遠藤がよく行った映画館「敷島劇場」が描かれています。 <学校の帰りに映画に行くことも田村から習った。西宮の阪神駅にちかい二番館に田村のあとから、かくれるように真暗な館内に入った。便所の臭気がどこからか漂ってくる。子どもの泣き声や、老人の咳払いの中に、映写機の回転する音が単調にきこえる。私は今頃、母は何をしているかと考えてばかりいた。> ある土曜日、誘惑に勝てず登校の途中で下車し、数日前母親の財布からとった一円札を手にした遠藤は、盛り場に出て夕暮れまで映画を見て、何くわぬ顔で家に戻ります。 <玄関をあけると、思いがけず、母がそこに、立っていた。物も言わず、私をみつめている。やがてその顔がゆっくりと歪み、歪んだ頬に、ゆっくりと涙がこぼれた。学校からの電話で一切がばれたのを私は知った。その夜、おそくまで、隣室で母はすすり泣いていた。> このように、少年時代はいつも母親を悲しませていた遠藤ですが、母の死後、夢の中や遠藤の頭の中をよぎる母親の姿を次のように述べています。 <そんな時の母は、昔、一つの音を追い求めてヴァイオリンを弾き続けていたあの懸命な姿でもない。車掌のほかは誰もいない、阪急の一番電車の片隅でロザリオをじっと、まさぐっていた彼女でもない。両手を前に合わせて、私を背後から少し哀し気げな眼をして見ている母なのである。> その母親の姿を、遠藤は聖母像と重ね合わせます。 <それがどうして生まれたのか、今では、わかっている。そのイメージは、母が昔、持っていた「哀しみの聖母(マーテル・ドロロサ)」像の顔を重ね合わせているのだ。> 更に、かくれキリシタンの部落で「キリストをだいた聖母の絵―。いや、それは乳吞み児をだいた農婦の絵だった」という聖母像を見て、次のように述べるのです。 <彼らはこの母の絵にむかって、節くれだった手を合わせて、許しのオラショを祈ったのだ。彼等もまた、この私と同じ思いだったのかという感慨が胸にこみあげてきた。> これは『沈黙』の聖母像にもつながっているのです。 小説『母なるもの』は「裁き罰する父なる神に対して、優しく許す“母なるもの”を宗教の中に求める日本人の精神の志向を、自身の母性への憧憬、信仰の軌跡と重ねあわせた作品」と言われています。
by seitar0
| 2024-01-29 09:11
| 遠藤周作
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