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マーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』の公開に先立ちNHK BSで「巨匠スコセッシ“沈黙”に挑む~よみがえる遠藤周作の世界~」が放映されました。 彼が28年の歳月をかけ構想しつづけてきた、渾身の一作ということですが、アメリカ人であるスコセッシが日本人の遠藤の作品『沈黙』の本質を理解していると感じたのは、隠れキリシタンが古い聖画に祈りをささげるシーンに「雪のサンタマリア」を登場させているのを知ったからです。 番組の中でセッシオは、「隠れキリシタンの十字架やシンボルには興味深いものがたくさんありました。一つだけ選ぶとしたら雪のサンタマリアです」と語っているのです。 厳しい禁教下で、厳重に秘匿され伝えられた「雪のサンタマリア」は、現在日本二十六聖人記念館に保管されています。 長崎の伝説に、<むかし、むかし、ルソンちゅう国の貧乏な大工の子で、丸屋(まるや)ちゅう娘のおったゲナたい。>と始まる「雪の三タ丸屋」というキリシタン民話があるそうで、宣教師たちが残して行った聖母マリアの話の数々の断片は、長崎のキリシタンによって丹念に綴り合わされ、日本の風土に溶け込み、珠玉の民話となったと解説されています。 http://sawarabi.a.la9.jp/rozarionomaria/7yuki.htm 西洋のキリスト教世界の思想風土と日本の伝統文化のはざまで苦悩した遠藤周作は『私と基督教』で、次のように述べています。 <この基督教と、日本人との矛盾は私に一つのことを教えてくれました。それは日本人はやはり日本人としての基督教の伝統も歴史も遺産も感覚もないこの日本の風土を背おって基督教を摂取していくことです。そうした試みがさまざまの抵抗や不安や苦痛を日本人の基督教信者に与えるとしても、それに眼をつぶらないこと。なぜならば、神は日本人に、日本人としての十字架をあたえられたに違いないですから。>」 <デウスと大日と混同した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。言葉の混乱がなくなったあとも、この屈折と変化とはひそかに続けられ、お前がさっき口に出した布教がもっとも華やかな時でさえも日本人たちは基督教の神ではなく、彼らが屈折させたものを信じていたのだ> 日本人でありカトリックであることは可能かと遠藤は問い続けているのです。 かくれ切支丹が秘匿していた聖母マリアの絵は、遠藤周作は『母なるもの』でも「納戸神」として登場します。 『母なるもの』は小説家である「私」が「かくれ切支丹」の住んでいた長崎のある島へ取材に行き、そこで見聞きしたことを描いた小説です。「かくれ切支丹」の子孫は島民から隔絶したところに住んでおり、町のカトリック信者たちともあまり交流がなく、「私」は助役にかくれの部落に連れていってもらい、納戸神を見せてもらえないかと頼みます。それは黄土色の掛軸の絵でした。 <キリストをだいた聖母の絵―。いや、それは乳吞み児をだいた農夫の絵だった。子どもの着物は薄藍で、農婦の着物は黄土色で塗られ、稚拙な採色と絵柄から見ても、それはこのかくれの誰かがずっと昔描いたことがよくわかる。農婦は胸をはだけ、乳房をだしている。> ここに描かれた聖母の絵は「雪のサンタマリア」のような立派な絵ではありませんが、しばし眼を離せなくなります。 <彼らはこの母の絵にむかって、節くれだった手を合わせて、許しのオラショを祈ったのだ。彼等もまた、この私と同じ思いだったのかという感慨が胸にこみあげてきた。昔、宣教師たちは父なる神の教えをもって波濤万里、この国にやって来たが、その父なる神の教えも、宣教師たちが追い払われ、教会が毀されたあと、長い歳月の間に日本のかくれたちのなかでいつか身につかぬすべてのものを棄てさりもっとも日本の宗教の本質的なものである、母への思慕に変わってしまったのだ。> この聖母の絵こそ日本人のキリスト教信仰を母なる世界へのあこがれであると指摘した遠藤文学を象徴するものではないでしょうか。 1971年の篠田正浩監督作品より原作にはるかに忠実に作られ、遠藤文学の本質をとらえているのが、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』です。 Martin Scorsese's Silence: He has been faithful to Shusaku Endo's text and to the deep questions within it Scorsese's latest film 'Silence' is admirably faithful to the original 1966 Japanese novel unlike Masahiro Shinoda’s earlier movie version in 1971 http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/features/martin-scorsese-silence-film-end-sh-saku-novel-adaptation-a7518086.html
by seitar0
| 2024-01-27 21:03
| 遠藤周作
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