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遠藤周作は昭和8年から昭和14年まで、母と兄と共にカトリック夙川教会近くの借家に住んでおり、洗礼を受けたのは昭和10年のことでした。 遠藤周作のエッセイには当時、主任司祭だったメルシェ神父のことが、たびたび述べられてれており小説のモデルとしても登場します。 <あまり悪い子なので私は教会の主任司祭、メルシェ神父から大目玉をくった。メルシェ神父はフランス人で実に立派な人だった。戦争中、彼は何もしないのにスパイの嫌疑をかけられて憲兵隊に連れて行かれた。.........戦争が終わって神父さんは痩せこけ、足を引きずりながら戻ってきた。教会における私の幼なじみたちの話によると、彼は、「日本人のことを私は恨んでいません」と最初のミサでひとこと言ったきり、生涯、このいやな過去のことを二度と口にださなかった。 彼が亡くなる一年前、幼友達が私を夙川のレストランに招いてくれたが、老いたメルシェさんも顔を出してくれた。顔色がよくなく、辛そうだった。抑留中に体をすっかり痛めたのであろう。>と。 また、『昭和―思い出のひとつ』では、 <私が洗礼を受けた阪神夙川の教会にメルシェという仏蘭西人の神父がいた。彼はいかにも仏蘭西の田舎出の司祭という純朴さを持ち合わせていたが、確実な根拠もないのにスパイだといわれ、憲兵隊に引張られた。 終戦まで彼が受けた拷問はすさまじいものだったらしく、戦争が終わってに戻ってきた時は骸骨のようにやせ、体中、皮膚炎になっていた。しかし彼は戻ってきて最初の日曜のミサの時、集まった信者たちに、「わたくし教会は日本人を恨んでいませんから」とひとこと言ったきり、この二年前に死ぬまで四十年のあいだ一言も当時の思い出を口に出さなかった。 私が彼に最後に会ったのは死ぬ数ヶ月前だったが、拷問で痛んだ足をまだひきずるようにして歩いていた。 戦争の頃を考えると私の思い出にはこのメルシェ神父のことが必ずつきまとう。信者たちは彼がスパイではなく潔白そのものだと知りながら何もできなかった、助け出せなかった。弟子たちがイエスを見殺しにしたように彼を見殺しにしたのである」 さらに「こんな基督教徒であったために自分の弱さ、二重性を充分に知った。> とし、最後に「それが後に小説家としての私にどれだけ多くのテーマを与えてくれたことだろう。」と述べています。 『神父たち』では、 <先日、私は二十年ぶりで自分が洗礼を受けた西宮市夙川のカトリック教会をそっと訪ねてみた。……… じっと腰をかけていると、昔、その祭壇で冬の朝、ミサをあげていた孤独な仏蘭西人司祭のことが心に甦った。栗色の髯をはやしたそのM神父さんにはいかにも向うの出身という素朴さと土の臭いがした。彼は私たち悪童にはこわい存在だった。特に私のようにミサの間も悪戯ばかりしている子供には平手打ちを食わせることもあった。戦争が激しくなった時、その神父さんは突然、憲兵に引っ張られていった。無実のスパイ容疑が彼にかけられたのだという噂を私は耳にしたことがある。生涯、身を捧げて尽くそうとした日本人にこうして苦しめられた何年間がこの神父にどんなに辛かったか、今でも私は時々、考えることがある。> この事実は遠藤にずっと卑怯な自分という自己嫌悪感を抱かせたのです。 さらに小説『影法師』では、 <この河を時折ふりかえる時、どうしても、僕が洗礼を受けさせられたあの阪神の小さな教会が心に浮かぶ。今でもそのままに残っている小さな小さなカトリック教会。贋ゴシックの尖塔と金色の十字架と夾竹桃の木のある庭。あれはあなたもご存知のように僕の母がその烈しい性格のため父と別れて僕をつれて満州大連から帰国し、彼女の姉をたよって阪神に住んだ頃です。その姉が熱心な信者でしたし、母は孤独な心を姉の奨めるままに信仰で癒しはじめていました。そして僕も必然的に伯母や母につれられて、その教会に出かけたのでした。フランス人の司祭が一人、その教会をあずかっていました。やがて戦争が烈しくなるとこのピレネー生まれの司祭はある日、踏みこんできた二人の憲兵に連れていかれました。スパイの嫌疑を受けたのです。> とメルシェ神父が憲兵に連れていかれた時を彷彿させる情景が描かれているのです。 以前、芦屋市民センター展示場で、平和展「阪神間文学に見る戦時下の街と暮らし」として夙川カトリック教会の創始者ブスケ神父の肖像画や、メルシェ神父にかかわる遠藤周作の作品が展示されました。
by seitar0
| 2024-01-24 17:10
| 遠藤周作
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