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カトリック夙川教会のメルシェ神父は1937年から1952年まで第3代主任司祭を務められました。 <この河を時折ふりかえる時、どうしても、僕が洗礼を受けさせられたあの阪神の小さな教会が心に浮かぶ。今でもそのままに残っている小さな小さなカトリック教会。贋ゴシックの尖塔と金色の十字架と夾竹桃の木のある庭。あれはあなたもご存知のように僕の母がその烈しい性格のため父と別れて僕をつれて満州大連から帰国し、彼女の姉をたよって阪神に住んだ頃です。その姉が熱心な信者でしたし、母は孤独な心を姉の奨めるままに信仰で癒しはじめていました。そして僕も必然的に伯母や母につれられて、その教会に出かけたのでした。フランス人の司祭が一人、その教会をあずかっていました。やがて戦争が烈しくなるとこのピレネー生まれの司祭はある日、踏みこんできた二人の憲兵に連れていかれました。スパイの嫌疑を受けたのです。> 遠藤周作は『落第坊主の履歴書』で、メルシェ神父は拘留中のことは生涯、口にださなかったと述べています。 <あまり悪い子なので私は教会の主任司祭、メルシェ神父から大目玉をくった。メルシェ神父はフランス人で実に立派な人だった。戦争中、彼は何もしないのにスパイの嫌疑をかけられて憲兵隊に連れて行かれた。.........戦争が終わって神父さんは痩せこけ、足を引きずりながら戻ってきた。教会における私の幼なじみたちの話によると、彼は、「日本人のことを私は恨んでいません」と最初のミサでひとこと言ったきり、生涯、このいやな過去のことを二度と口にださなかった。 彼が亡くなる一年前、幼友達が私を夙川のレストランに招いてくれたが、老いたメルシェさんも顔を出してくれた。顔色がよくなく、辛そうだった。抑留中に体をすっかり痛めたのであろう。> <私が洗礼を受けた阪神夙川の教会にメルシェという仏蘭西人の神父がいた。彼はいかにも仏蘭西の田舎出の司祭という純朴さを持ち合わせていたが、確実な根拠もないのにスパイだといわれ、憲兵隊に引張られた。 終戦まで彼が受けた拷問はすさまじいものだったらしく、戦争が終わって教会に戻ってきた時は骸骨のようにやせ、体中、皮膚炎になっていた。しかし彼は戻ってきて最初の日曜のミサの時、集まった信者たちに、「わたくしは日本人を恨んでいませんから」とひとこと言ったきり、この二年前に死ぬまで四十年のあいだ一言も当時の思い出を口に出さなかった。>と繰り返し述べています。 拷問を受け、かなり体を痛めらたメルシェ神父ですが、当時カトリック夙川教会に通っていた稲畑汀子様、北村良子様からも、拘留中のことは一切口にされなかったと、お聞きしました。 しかし、メルシェ神父は終戦の翌年、パリミッション会総長の命を受けて部外秘とすることを条件に作成した獄中記が存在していました。 その獄中記が、神父の帰天から30年以上たって、もはや秘密扱いする必要はなくなったとして、2012年12月に発行された「夙川 建堂80周年記念誌」で公開されていたのです。 戦時中、フランス国籍であったためスパイ容疑で憲兵隊に監視され、ついに1945年5月逮捕、拘留され、終戦までの100日間厳しい取り調べと拷問を受けます。8月16日に解放されたときは、皮膚がただれて歩行もできない状態で、教会近くの信徒宅に引き取られ40日間の養生の後、教会に復帰します。 そして獄中で受けた虐待や拷問については亡くなるまで口外しなかったのです。 獄中記は深い感動を呼ぶ記録となっています。 最後の部分を少し紹介させていただきます。 <日本人がこのように残虐なことをできるということが信じられませんでした。しかしこれは一つの例外でしょう。私の収監に関して、「長期にわたり繰り返された拷問」という観点からのみ語る人々がいます。確かに私は拷問を受けました。しかし苦しみには良い面もあるのです。私はこの100日間に起きたすべてのことの中で、これだけ多くの人たちが私に心配と共感を寄せてくれたということの方が、軍国主義精神によって心のバランスを崩した野卑な伍長の残虐さよりも、思い出として残っています。> メルシェ神父はなんと立派な神父様だったのでしょう。
by seitar0
| 2024-01-22 10:59
| 遠藤周作
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