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遠藤周作のエッセイなどを読んでいると、親子の関係が色々述べられています。 遠藤夫人の順子さんも『夫・遠藤周作を語る』で、対談相手の聖心女子大学教授・鈴木秀子さんの問いかけに次のように述べています。 ![]() <家へ帰るのが嫌で道草をしたり、悪戯をしたり、荒れたようですね。やはり何といっても、母を捨てた父が許せなかったのじゃないでしょうか。その思いは後年まで尾を引きずっていて、私などは、もういい加減にお父さんを許してあげたらって言うのですが、主人は「両親の揃った家にぬくぬく育ったお前に、俺の苦しみなんかわかってたまるか」って。父に会いに行くのは、亡くなった母に対する裏切りのような気がしたみたいです。> 入学試験に失敗し、仁川の母の下で浪人生活を過ごしていた遠藤は、昭和17年19歳の時、兄と相談し母に経済的負担をかけないためという理由で、世田谷区経堂の父の家へ移り住んでいます。 ![]() この理由が本当かどうかわからないのですが、父の世話になることは遠藤にとって忸怩たる思いだったでしょう。そして昭和18年には慶應義塾大学文学部に入学したものの、父が命じた医学部を受けなかったため勘当され、父の家を出ることになりますが、翌年、寄宿していた信濃町のカトリック学生寮白鳩寮が閉鎖となり、経堂の父の家に戻っています。 ![]() その後フランス留学を経て、父の家に落ち着いて、順子さんと結婚しますが、これも父の命により神前結婚と、キリスト教の結婚式を挙げます。 結婚後はしばらく父の家に同居したものの、ある言葉のやりとりが気に食わなかった遠藤は、順子さんを連れて、家を出てしまうのです。 遠藤が父を許す気になったのは、父が亡くなる直前だったようです。 <でも父が亡くなる直前の頃は、家に美味しいお酒が入ると、「これ、親父のところへ持っていってやれよ」と申したりしていました。自分でも何度か父を見舞っております。> と遠藤順子さんは語っています。 その和解について、一人息子の遠藤龍之介氏が2021年のETV特集で語っていました。 父常久が90歳を超えて老人病院に入院しているのを知った遠藤周作が息子の龍之介に「ちょっと会いに行かないか」と誘います。病院の滞在は15分か20分程度だったそうですが、周作は無言でじっと手をとって顔を見ていました。病院を出て、周作親子は蕎麦屋に入り、そこで無言で蕎麦を食べていると周作が「もういいんじゃないかな」と言ったそうです。 ![]() 遠藤龍之介氏は、「それには色んな意味があると思うが、その多くは自分の父に対する相克というか、ある種の感情をもうピリオドを打ってもいいんじゃないかもしれない。それが多分父と祖父の和解の最終章だったような感じがします」と語っていました。 ![]() 遠藤龍之介氏は今や、日本民間放送連盟会長を務められ、ジャニーズ問題でもコメントを発表していました。 因みに遠藤周作は長男の龍之介が生まれた日に、学習院で「フランス・カトリック文学の日本に与えた影響」というテーマで講演しており、講演が終わった後の食事会で同席したフランス文学者の鈴木信太郎先生と、辰野隆先生に名前の相談をしたそうです。 <主人は、「さて名前は、竹田麟太郎の麟太郎と、芥川龍之介の龍之介のどちらかにしたのですが、いかがでしょうか」って。そしたら鈴木信太郎先生も辰野先生も。「それは芥川賞の龍之介がいいよ」っておっしゃったので、龍之介という名前に決まったわけなんです。> 遠藤周作が『白い人』で芥川賞を受賞したのは長男誕生の1年前、昭和30年のことでした。
by seitar0
| 2023-11-30 10:39
| 遠藤周作
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