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遠藤周作は昭和30年9月に、慶應仏文の後輩、岡田順子と結婚しますが、短編小説『影法師』で、その結婚式について述べています。 <娘との結婚には色々な曲折がありましたが、どうにか父を説得することができました。ただ父は条件を出しました。式はアーメンの教会などでやってくれるなと、僕と母との心理的な関係を父はどこまでも断ち切りたかったのでしょう。僕はこの馬鹿々々しい申し出を聞き入れ、娘と相談して二つの結婚式をやろうと考えました。一つは父とその知人を集めたホテルでの式とそれからその娘と僕と二人っきりでの教会での結婚式を。> この式でミサをたてたのは、後に棄教した「貴方」でした。 <いわゆる世間向きの式をホテルであげるという日の前日、ひそかに父たちに怪しまれぬように普通の背広を着た僕と同じ色のスーツを着た娘とはひそかに貴方の神学校をたずねました。誰も来てくれぬ我々二人、この結婚式に僕は死んだ母が遠くから祝福してくれているような気がしていました。> 母郁は結婚式の2年前の昭和28年12月に脳溢血で突然に死去していました。 小説では二つの結婚式について、このように書かれていたのですが、ほとんど事実のようで、実際の様子が遠藤順子『夫の宿題』で明かされていました。 ![]() <遠藤の父がキリスト教の結婚式などどうしても認めないと言いだして、九月九日に今はパレスホテルとなっているホテル・テイトで、神式の式をあげることになりました。その前日に、イグナチを教会の中のクルトルハイムという小聖堂で、遠藤の母方の親族や遠藤の兄夫婦など、ごく少数の人々に祝福されて結婚式をあげまた。私の両親も兄弟も、遠藤のほうの父や二番目の母が出席しないところへ出るわけにはいかないということで、上智のほうの結婚式には出席を遠慮し、花嫁側の参列者は本人一人という変わった結婚式でした。>神式の結婚式を挙げたホテルテートとは、GHQ の命令によりバイヤー専用の国有国営のホテルとして、旧帝室林野局庁舎 (林野庁の前身) の施設を改築し、昭和22年に開業した国有国営ホテルです。 その後、昭和36年にはパレスホテルとして生まれかわっています。 一方、クルトゥルハイムとは上智大学の構内のミサを捧げる聖堂で、ここで結婚式を挙げたと思われますが、司式をしたヘルツォーク神父は昭和16年から上智大学文学部教授として着任し、その後上智学院修道院長、上智大学学監の要職を務めています。 この建物は関東大震災や第2次世界大戦中の空襲でも被災を免れ、今や大学構内に現存する唯一の明治期の建築物となっているそうです。 式には、遠藤夫妻だけではなく、ごく少数ながら遠藤の母方の親族や遠藤の兄夫婦が参列していました。 更に『影法師』では次のような光景が描かれています。 <僕は御堂の前で待っていた。晴れた日でした。ジュラルミンの蒲鉾型の建物がずらっと並んでいる。そのジュラルミンが陽にキラキラと光っている。僕は母のことを考え、彼女が僕の妻をみたら、どう言っただろうかと一人笑いを浮かべました。> 当時、上智大学学生寮の舎監をつとめていたフランツ・ボッシュ神父が、困窮する学生のため、米軍払い下げのカマボコ兵舎を買い取って構内に移築し、学生寮としました。カマボコハウスは、全部で 12 棟あり、学生寮はそのうちの5 棟で、1棟が学生の集会所に当てられ、残りの 6 棟は、教職員の住宅やソフィア会事務室に当てられたそうです。
by seitar0
| 2023-11-22 15:57
| 遠藤周作
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