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昭和の美人画家として戦後一世を風靡した東郷青児ですが、大正8年ごろ、徴兵を逃れ、創立早々の宝塚歌劇に転職した原田潤を頼りに大阪に都落ちします。一時、中山太陽堂の図案係として採用されますが、高給を約束されたにもかかわらず、僅か2週間で辞めてしまいました。しかし、その後も青児は同社の顧問として、新聞広告や雑誌広告、パッケージ、劇場の緞帳にいたるまで多くのデザインを手がけたそうです。 写真は東郷青児デザインのクラブ粉白粉のケース。 その頃、友人の浜寺の別荘で最初の結婚相手の永野明代(はるよ)と恋仲になります。 田中譲『心淋しき巨人 東郷青児』に永野明代さんとのことについて詳しく書かれていました。 <彼女は、大阪の高麗橋に永野眼科医院を開業してのちに西宮に住み、山林と田畑を持つ資産家として知られた永野家の次女であった。地元の梅華女学校を出ていて、東郷より二つ若い、細面の美人であったという。> 永野明代の実家は西宮の甲山山麓にあって、松林の中に白壁の土蔵がある閑静な住まいでした。 東郷青児は『私の履歴書』で次のように述べています。 <甲山山麓の明代さんの実家は小高い松林の丘の上にあり、丘の裾を小川が流れていて、眼下に広田神社の鳥居が見える美しいところだった。> 昭和11年の吉田初三郎の鳥観図です。 眼下に広田神社の鳥居が見える小高い松林の丘の上とは、赤矢印のあたりだったのでしょう。 ここは城山町と呼ばれ、昔、越水城があった場所ですが、見晴らしもよく、現在も閑静な住宅地で、大きなお屋敷もいくつか残っています。 <丘の裾の小川を堰止めて、魚をとったり、裏山の池で釣りをしたり、香櫨園の浜に泳ぎに行ったり、まるで子供のころの夏休みの思い出のような記憶だけが次から次に回想されるのである。明代さんの父親は、以前大阪で医院を開いたそうだが、そのころは隠退して、甲山のその別荘で、悠々自適の生活を愉しんでいた。> 丘の裾の小川とは鳥観図にも少し描かれている東川上流のことかもしれません。 その後明代さんと青児は式をすませて蒲田に移り住みますが、結婚から七か月後、新妻を日本においてパリに行くのです。明代は既に身ごもっており、後を追ってパリに行きますが、資金が行き詰まり、1年半余りで、東郷をパリに残して帰国します。 東郷は昭和3年になって帰国しますが、家庭生活に疲れ、19歳の才媛、西崎盈子と恋仲になってしまい、現代ではとても許されない女性遍歴が続きます。 <妻の明代にしても、この西崎盈子にしても、さらにこのあと東郷がかかわりを持つ 第三、第四の女性にしても、細っそりとして色白で、細くて長い首と手足の美しさを持つ点はまったく共通している。> 妻子がありながら愛人と心中未遂をするなどスキャンダラスな人物で、画壇からも「通俗な美人画」と酷評されていましたが、すらりと伸びた首筋や、長い手足、長いまつ毛の甘い顔立ちが特徴の作品は今でも惹きつけるものがあります。
by seitar0
| 2023-11-07 12:09
| 苦楽園口
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