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ライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功したのは1903年のことですが、その後、飛行機はより速くより高くより遠くへ飛べるよう改良が続けられ、飛行技術は急速に発展し、1914年に始まった第一次世界大戦では軍用機が実用化されています。 日本国内では、飛行機が初めて飛行に成功したのは、1910(明治43)年の軍による飛行演習でのことです。そして1914(明治44)年、アメリカ人マースが、大阪城東練兵場で関西で初めてとなるカーチス式複葉機の飛行を披露し、その一週間後、鳴尾競馬場で妙技を演じています。 写真は明治44年、鳴尾競馬場で開催された飛行大会 その頃、初めて空を自由に飛ぶ飛行機を見た人々の感激は稲垣足穂『飛行機物語』に詳しく書かれていますが、林芙美子も初めて飛行機を見たときのことを、自伝『一人の生涯』で述べています。 1916(大正5)年、林芙美子が13歳の時、福岡県直方市から広島県尾道市に移り、市立尾道小学校に通っていたころのことです。 <この町から近いところに、福山と云う城下町があって、この町の練兵場に、スミスと云う、アメリカの飛行家が来て、宙返りをしてみせると云うので、私は近所の人達と一緒にスミスを観に行ったことがあります。生まれて初めて飛行機というものを見ました。飛行機から降りて来ると、スミスは小型な自動車に乗って場内をまわりました。スミスは大変小さい男でした。> アート・スミスと日本旅行中の複葉機。 アート・スミスは10代半ばに「ベビーカー」という名前が付けられたハーレーFヘッドVツインを搭載したミニチュアカーを製造しています。 飛行家としてのアートの人気は強く、天皇の為に飛行するよう要請を受けて、アートは船便で飛行機とベビーカーを日本に持ち込んだのです。 アートは飛行演技の後、このベビーカーに乗って場内を廻ったようです。 <私は家へ帰ってから、長いあいだ飛行機のことばかり考えていました。鳥はあんなに、自由に飛んでいるのに、人間や猫や牛は何故空に飛べないんだろうと思いました。牛に羽根が生えて空中を飛べたらどんなでしょう。猫や犬に羽根が生えて飛べたらどんなでしょう。私は夢をみても、どこへんも飛んでゆける夢ばかり見ました。> 林芙美子はスミスのように、自由に空を飛びたくて仕方がなかったと述べています。 林芙美子より4歳年長の稲垣足穂も1913(大正2)年5月、鳴尾飛行場で武石浩玻の飛行に関心を寄せていました。
by seitar0
| 2023-10-12 16:48
| 稲垣足穂
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