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岩谷時子さんが神戸女学院に在学した1933(昭和8)年から二年間は、ちょうど宝塚歌劇のレビュー黄金時代の幕開けで、よく大劇場に通われていたそうです。しかし、女学院を卒業した翌年、父親が結核を発症し、家計は次第に逼迫します。 その頃、岩谷時子さんが図書館に行くため、大劇場の前を通り過ぎようとしたとき根津幾世子に出会います。 村瀬恵理『ラストダンスは私に』からです。 <「イワちゃん?イワちゃんやないの?」見ると、神戸女学院の友人、音楽課の根津幾世子だった。かつて大阪船場一の豪商として鳴らした根津一族の嬢(とう)さんは、春らしいたまご色のワンピースを着ていた。「おネヅ……」「やっぱりイワちゃんや。相変わらず、細いねえ」 幾世子は血管が青く浮き出ている時子の手首を握った。当時、根津家は当主の根津清太郎が放蕩の末、家業を潰し、夫人は夫を見捨てて、小説家の谷崎潤一郎の元に走ったと、派手なゴシップで世間を騒がせていた。友人たちも幾世子のいない所で何かと噂話に花を咲かせていたが、他人の家の内情を詮索する趣味のない時子は、その輪には加わらなかった。幾世子も一人子で、宝塚歌劇では葦原邦子を贔屓にしていた。> 写真は根津幾世子が通った神戸女学院音楽館です。 ここで岩谷時子の同窓生として根津一族の根津幾世子が登場しました。丁度この頃、松子さんは根津清太郎と離婚し、谷崎と芦屋市宮川町に同棲し、結婚された頃です。噂話にも花が咲いていたでしょう。 写真は谷崎潤一郎が居住し、松子夫人と婚礼をあげた芦屋市宮川町の家です。現在は、後に住んだ富田砕花旧居跡として公開されています。 とこころで根津幾世子さんは、根津一族のどのような方だったのでしょう。 根津清太郎は1900(明治33)年に「根津商店」の一人息子として生まれ、養子であった父は離縁により家を離れており、母も早くに死去していたということですから、1916(大正5)年頃生まれたと思われる根津幾世子は、根津清太郎の親戚だったのでしょう。 村岡恵理さんは岩谷時子さんの評伝を書くにあたって、財団から提供いただいた日記などを参考にされたと述べられており、根津幾世子は神戸女学院の同窓生だったことは間違いなさそうです。 評伝では根津幾世子がこのあとも登場します。
by seitar0
| 2023-08-30 13:19
| 岩谷時子
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