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現在は建物も無くなってしまった宝塚文芸図書館は、遠藤周作が仁川へ引っ越してきてから足繫く通った図書館です。 取り壊される前は中華レストラン「ロンファン」となっていました。 エッセイ集『心のふるさと』で、次のように述べています。 <仁川から阪急電車で四つ目に宝塚がある。私は夏休みなど、ほとんど毎日、この宝塚にでかけた。駅から桜の路が大劇場まで続いており、図書館が劇場の庭にあった。当時の私は宝塚のミュージカルには、まったく興味も関心もなく、女性が男性の真似をして恋を囁くのを気持ち悪いと思っていた。私が宝塚に通ったのは、そこの図書館が本をタダで貸し出ししてくれるからだった。トルストイもドストエフスキーの代表作も、モーパッサンも私はみな借り出して読んだ。当時、小説家になる意志など毛頭もなかったが、その小さな第一歩は仁川とこの宝塚ではじまったと言ってよい。> 遠藤周作が宝塚文芸図書館に通ったのは昭和14年から19年までのことですが、岩谷時子さんは昭和10年ごろから図書館に通われていたようです。 村岡恵理『ラストダンスは私に 岩谷時子物語』からです。 <大歌劇場から通りをひとつ隔てた先の外園植物園の広大な敷地の片隅に、コンクリート3階建ての宝塚文芸図書館が建っていた。温泉利用者のための読書スペースを拡張し、1932(昭和7)年、芸術・文化、特に演劇に特化した私立図書館として設立された。宝塚歌劇の脚本家や演出家、出版部の編集者らしき人たちの出入りも多い。> 宝塚新温泉案内図です。赤線で囲んだ所が大劇場。黄線で囲んだ所が図書館です。 <時子は下足場で靴を脱ぎ、書架から『林芙美子選集』を引き出して、いつも通り1階の奥の窓際の席で林芙美子の『文学的自叙伝』を読み始めた。この時期、時子が最も感心する文筆家は林芙美子だった。『放浪記』は、もう何度読み返したかわからない。ペン一本で貧しさから這い上がり、母親を幸せにした孝行娘である。> 宝塚文芸図書館の前身は1911(明治44)年開業の宝塚新温泉の図書室であり、演劇関係の専門資料を収集していましたが、昭和前期には私立公共図書館としての性格も強かったそうです。 それは長く館長を務めた戸沢信義氏のおかげであり、一時期、図書館運動の拠点となっていました。戸沢信義が遠藤周作を小説家に、岩谷時子を作詞家の道に導いた人物かもしれません。 昭和7年の「阪急創立廿五周年記念寳塚婦人こども博覽會々場全景圖」の中央に、宝塚文芸図書館が大きく描かれています。 昭和10年岩谷時子はこの図書館で林芙美子を読み、作家を目指していました。 <文章ならば、絵のような高い画材も必要なく、原稿用紙とペンさえあればよい。自分も彼女のように、小説でも、脚本でも、詩でも、かたっぱしから書いてみよう。図書館で題材を探しては、自宅2階の自分の部屋にこもり、階下の父の咳を聞きながら、日々、原稿用紙と格闘した。> 昭和14年に岩谷時子は宝塚歌劇団出版部に入社しましたが、その後も図書館通いは続いたはずで、そこで遠藤周作とすれ違っていたかもしれません。
by seitar0
| 2023-08-28 20:36
| 岩谷時子
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