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佐川陽子著『パール・バックと日本』は、日本を心から愛したノーベル賞作家パール・バックと日本の関係を、豊富で詳細な資料の調査と貴重な証言をもとに研究された成果です。 バックは1892年、ウェスト・バージニア州に生まれ、生後3ヶ月で宣教師の父と母とともに中国江蘇省に渡り、1911年、大学教育を受けるためにアメリカに帰国しますが、1914年卒業後、母の病気の知らせを受けて宣教師として中国に戻りました。しかし、1927年に蔣介石の国民革命軍が南京を占領した南京事件に遭遇し、日本の雲仙に一時移り住んでいます。 佐川陽子『パール・バックと日本』ではその時の様子が次のように述べられています。 <バックが雲仙で暮らすようになったのは、住まいがあった南京が共産軍に攻撃されたため、外国人が非難を余儀なくされた一九二七年のことである。南京の情勢が早期には改善しなかったため、バックは、半年以上も日本で暮らすことになった。七十六歳の高齢の父と、七歳と三歳の小さな娘達と共に暮らす場所として、バックが直感で自ら決断して温泉地雲仙に近い長崎県の山村の小さな民家を借りたのである。> バックは1960年に、映画『大津波』の撮影のために来日し、その機会に念願だった長崎で暮らした村を訪ねます。しかし当時とは様子が変わっており、通りかかった女性に、昔この地に住んでいたアメリカ人を知らないかと尋ね、彼女の祖父が知っていることがわかります。 パール・バック『過ぎし愛へのかけ橋』からです。 <浅い谷をくだり、小川を渡り、それからまた山を登って、やっと日本家屋がかたまって建っているところに出た。家はみんながらんとしていて、戸が閉まっていた。革命で財産をすべて奪われた私たちが、友達とともに、ひどい貧窮状態で、しかし安全な生活を送っていた小さな場所を見つけ出した。> そしてバックは案内してくれた老人にいくばくかの金を握らせ、帰りますが雲仙を出ようとしたとき、さっきの若い女性が呼び止め、包みを一つ手渡します。 <「祖父がいっておりましたが、あなたさまはお子さんがたのために、よくこのお餅をお買いになったそうですよ」と彼女はいった。ほんとうにそうだった。私はそのころのことをすっかり忘れていた。しかし、あの老人はおぼえていてくれたのだった。> と感動的な話が書かれています。> ところで佐川陽子さんは『パール・バックと日本』でこの「お餅」が「湯せんべい」だったことを明かしています。 「湯せんべい」はバックの二作品に書かれており、原語ではcakesと、rice cakeと書かれているそうですが、それぞれ考察されたうえで、1891年を起源とする「湯せんべい」のことであろうと結論付けられています。 写真は三宅商店ホームページより。http://yusempei.com/outline 更に、佐川陽子『パールバックと日本』では、「うんぜんレモネード」のラベルにパール・バックをイメージした絵柄が使われていることが紹介されていました。 写真は「お酒のひょうたん屋」ホームページより。 https://www.hyotan.co.jp/cnt/food/unzen-cider.html 温泉レモネードと書いて雲仙を掛け合わせてうんぜんレモネードと呼ぶそうです。 何となくラベルに描かれた女性にはバックの面影があります。 <ラベルのデザインは雲仙に約4ヶ月滞在した米国のノーベル賞作家、「パール・バック」をイメージした絵柄を採用しています。冠にはつつじ科のひとつであるミヤマキリシマをデザインし、地域性と歴史文化の調和を実現しています。> こんなところにパール・バックが登場していたとは。 佐川陽子さんはきっと現地を訪ねて詳しく調査されたことだと思います。
by seitar0
| 2023-06-26 11:53
| パール・バック
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