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甲山の平和塔の下にパール・バックのメッセージが刻まれることになった経緯は佐川陽子著『パール・バックと日本』に詳しく述べられていました。 その始まりは、1956年1月3日付朝日新聞に掲載された新春メッセージ「<アメリカ>女こそ平和の力 パール・バック」でした。アメリカを代表する立場として「親愛なる日本の皆様へ」から始まる長文のメッセージで、女性こそが平和の力となることを強調し、「私が女同士としての大きな信頼を寄せている日本の女性の皆様に、心からの新年のごあいさつを申し上げます」と結ばれているのです。 この新春メッセージに西宮市連合婦人会が共鳴し、直ちにバックに手紙を送ります。 1956年2月2日の朝日新聞に「祈りの平和塔建てるー西宮の連合婦人会が返事 パール・バック女史へ」と題して、それが掲載されました。 <あなたのお言葉のように、子どもたちが平和に、幸福に生きられぬ社会ほど、母にとっての不幸はありません。この不幸を二度とくり返さぬようにと祈りをこめて西宮の霊地・甲山に、母の手で平和記念塔を建設することになりました。母たちの持ち寄った祈りの寄金二百万円をもとに、今年の四月三日に完成するよう工事が進められています。このような日本の母の心が一人でも多くの世界の母たちに通じますよう、あなたのお力添えをお願いいたします。> 写真は1956年の甲山山頂の平和塔除幕式の様子(にしのみやデジタルアーカイブ) その期待に応えたパール・バックから、西宮市連合婦人会の桟敷朝子会長への返信が、銅板に刻まれた以下の文章です。 February 3 1956 Dear Mrs. Sajiki Thank you very much for your letter of January the 25th. . I have read it with much interest and sympathy. All mothers in every country, I am sure , feel as the mother in Japan do. I am glad to hear of the Peace Tower and I hope you will send me a picture of it when it is done. Meanwhile, I shall take pleasure in telling others of the monument. with best wishes , I am yours sincerely Pearl Buck 佐川陽子さんは『パール・バックと日本』で、次のように解説されます。 <日本からの手紙の日付が1月25日と記されており、バックが早急に返事を書いたことが確認できる。この婦人会の凄さは、これで終わらせていないことである。バックからの直筆手紙をそのまま銅板に写し込んで平和塔の下部に設置したばかりではなく、そのメッセージを、除幕式の会場の上空からセスナ機で投下させたのである。小さなパラシュートが付いた筒にバックのメッセージが入れられ、新聞社のセスナ機が除幕式の時間に合わせて飛来して千五百人もの市民が集う甲山の山頂に投下し、会場は拍手が鳴りやまなかったという。その平和塔は、バックが想いを込めて書いた手紙と共に、現在でも甲山の頂上に佇んでいるのである。> 『パール・バックと日本』にはセスナ機が甲山上空を飛ぶ様子、メッセージを運んだパラシュートが付いた筒の貴重な写真も掲載されていました。 パールバックが心から日本を愛し、平和を願ったからこそ、実現したのでしょう。 このエピソードを著作に入れていただいた佐川陽子様にも感謝です。
by seitar0
| 2023-06-01 12:39
| パール・バック
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