甲子園球場の春の選抜高校野球も終わりましたが、第一回の全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)は大正4年(1915年)に大阪府豊中村の豊中グラウンドで開催されました。その後、大正6年から大正13年(甲子年)に甲子園大運動場ができるまで、鳴尾球場で開催されることになります。
下村海南は『新聞に入りて』で「鳴尾野球戦」と題して、次のような短歌を読んでいます。
<社主催の年中行事第八回全国中等学校選手野球大会は、八月十三日より十八日に亘り鳴尾のグランドに開催さる。第五日松山商業神戸商業と戦い一対二にて惜敗し選手皆泣き観衆又泣く。第六日和歌山中学再び月桂冠を得て井口投手以下勝戦に嗚咽し衆又泣く。
万人の 歓呼のうちに 勝ちし群れは 旗を先にし 静かにぞすすむ
刀折れ 矢つきても猶 雄たけびの こゑなりやまず 三津が濱邊に
戦の いやはての勝 得し人の おもわに光る 涙を見ずや >
今も変わらぬ、感涙のシーンです。
さてこの鳴尾球場とは、当時すでにあった鳴尾競馬場のトラックの内部に二面設けられていたそうです。

昭和11年の吉田初三郎の西宮市鳥瞰図では、野球場は既に撤去された後で、その姿は描かれていませんでした。

鳴尾競馬場は相当広かったらしく、見取り図を見ると、競馬トラックの内側に観覧席、陸上トラック、野球場、テニスコートなどがあったようです。