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モダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍した西東三鬼は昭和17年、妻子を東京に置いて単身で神戸に移住、しばらくトーア・アパートメント・ホテルで過ごします。翌年、のちに「三鬼館」と呼ばれることになる西洋館(生田区山本通)に住まいを移しました。 <私達はぞの翌日、ホテルを引き払って、山の手の家へ引越したのである。その家は、明治初年に建てられた異人館で、ペンキはボロボロ、床はブカブカしていたが、各室二十畳敷位の、ガンガラガンとした部屋ばかりであった。この家には若い画家一家が住んでいたのだが、私が引越してから間もなく、彼は徴用になって工場の社宅へ移ったので、私は僅かの家具を買い取って、その家の借主になった。戦後、この西洋化物屋敷を、三鬼館と命名したのは誰であるか知らないが、来訪した次の諸先生の中の一人に違いないのである。> その西洋化物屋敷のスケッチが、大高弘達編著『西東三鬼の世界』に掲載されていました。 三鬼館は、二回の神戸大空襲にもかかわらず焼け残りました。 宮崎修二朗『ひょうご文学歳時記』で、次のように「白い館」として戦後も残っていたことが記されています。 <神戸の俳人たちが“三鬼館”と呼んだその洋館は、相楽園山側の道の東北部に今も残っていました。当時そこをしばしば訪れた俳人橋詰沙尋さんは当時を回想します。「貧乏でもダンデーで、美食家で、およそ迎合やへつらいのない精神的貴族でした。あの洋館、今は白く塗り替えられ改装されて往時の面影はありませんね。」その“白い館”の前で、ふと思いだした一句がありました。> 安藤安美著『神戸異人館』に“白い異人館”の絵がありました。 昭和50年前後の絵のようですが、かつては一戸立ちであったものを改造し、三世帯が住めるようにされ、当初の面影はかなり損なわれていると書かれていました。 現在はどうなっているかと行ってみました。神港学園高校の東側の黄色く着色した場所にありましたが、まったくあたりの風景は変わり、異人館などありません。 左手の石垣は、最初のイラストに描かれた三鬼邸の隣家の石垣の名残ではないでしょうか。 西東三鬼の『神戸』に戻ります。 三鬼館の前に立つ西東三鬼です。 <私は近辺の人に習って、花壇をつぶして野菜を作った。水洗便所の水槽の鉄蓋を開け、隣家の露人ワシコフ氏、仏人ブルム氏の分も流れ込んだ濁水を汲み出して、大切に肥料にした。大きな防空壕も前庭に作った。> このフランス人ブルム氏の館は、昭和44年に取り壊しが計画されましたが、幸いにして明治村に移設され、「神戸山手西洋人住居」 として残っていました。 三鬼館も残っていればよかったのですが。
by seitar0
| 2023-03-03 09:46
| 西東三鬼
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