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須賀敦子さんが『遠い朝の本たち』の「葦の中の声」は、 <不時着したのは、いったい北海道のどの辺りだったのか。いや、北海道ではなくて千島列島だったようにも思える。季節はいつだったのか。あのとき、あの場所に彼らの飛行機が不時着したのを目撃した漁船の乗組員たちのなかには、多くはないにしても、まだ何人かは生存者がいるはずだが、その人たちに会った見たい気がする。>という冒頭の文章で始まり、アン・モロウ・リンドバーグの『日本紀行』について述べられています。 リンドバーグ夫妻はシリウス号で1931年7月27日ニューヨークを飛び立ち、カナダ、アラスカ、シベリアの各所を経由して、8月19日に当時に日本領であった千島列島ケトイ島に着陸します。 写真は飛行準備をするリンドバーグ夫妻と愛機シリウス号。 その後、飛行日誌には、 8月21日同シンシル島プロトン湾に曳航さる 8月22日プロトン湾離陸 千島列島エトロフ島シャナ着陸 8月23日シャナ離陸、千島列島クナシリ島着陸 クナシリ島離陸 北海道根室着陸 8月25日根室離陸 と記録されています。 上の地図はチャールズ・リンドバーグが記した経路図です。 リンドバーグ夫妻は千島列島のケトイ島沖に不時着をして、初めて日本の文化に触れますが、『日本紀行』には、着水前から、根室無線局から「歓迎す……日本……に……リンドバーグ……大佐を……歓迎す……」と第一信が入り、それからも続く好意的な対応を「歌う水夫たち」、「漁夫の小屋」と題した章で、述べています。 ケトイ島では海軍のシムシル丸に曳航され、歌う水兵たちに助けられ、シャナでは初めて日本の旅館に泊まり日本の慣習に驚いています。その後根室を目指して離陸するも、悪天候のため一旦クナシリ島に着陸し、英語が伝わらないなか、絵を描いて意思疎通し、茅葺屋根の小屋で食事をご馳走になります。 『輝く時、失意の時』の義母宛ての手紙で、次のように述べています。 <チャールズが魚の絵を描いて、自分の口を指差すと、彼等は笑って、魚とじゃがいもを料理し始め、自分達のお箸を添えて出してくれました。他に、白いご飯とお茶を少し(ここでは、とても貴重なものです)。> そして翌日の朝の出発の様子が次のように綴られています。(飛行日誌には、その夜根室に向かったことになっていますが事実は8月24日根室着です) <次の朝出発するまで、私達は「ありがとう」の練習を何度も繰り返しましたが、出発時間になって、やっと正しい発音が出来るようになり、彼等に通じたのです!その夜、また大声で起こされました。一番近い村から数人の人達が、私達のために瓶ビールを6本と果物を少し積んだ船を漕いで、やって来たのでした。> リンドバーグ夫妻が日本人の歓待に驚き、感謝している様子がよくわかります。クナシリ島の村人たちが持ってきた瓶ビールは、当時は貴重なものだったに違いありません。 根室市公式サイトでは、<近くの外崎さんの草小屋に泊まり、翌朝、かけつけた清水虎亀與さん差入れのビールで乾杯して出発しました。>と書かれています。 根室到着時の歓待の様子は『翼よ北に』及び『日本紀行』には書かれていませんが、アンの義母宛ての手紙から引用します。 <翌朝、無線で天候が良いことを確認して、もう一度根室に発ちました。今度は、28分で根室に着きました。大きな町で、広い港にたくさんの船が停泊しています。それから、海岸と埠頭に大きな人の群が見えます。坊主頭で灰色の制服を着た大勢の男子生徒が、紙の旗を振っていました。市長はじめ役人や市民総出で、私達を迎えてくれたのです。札幌に駐留しているスウィフト大尉もいらしていて、彼にはすっかりお世話になりました。丸石を敷いた道を日本のホテル(旅館)まで、花束、カメラ、記者、大勢の人波を押し分けて進みました。> 上の写真は根室港での歓待の様子。ものすごい人並です。愛機シリウス号も写っています。 市長の招待による芸者をあげての晩餐会の様子も書かれています。 <一人一人に小さなお膳が運ばれ、そこにはいろいろな大きさと形のお皿がのせられ、蠅を避けるために鳥籠のようなカヴァーがしてありました。(日本では、皆、食事の前後に必ず、それから誰かを訪問した時にも必ず緑茶を飲みます。たとえ、朝食の直後の訪問であっても。)20枚以上の違ったお皿があったと思いますが、どれも私が見たことのないものでした。お醤油は、別の小さなお皿に入っているのです。> 上の写真は根室ではなく、次に向かった土浦の旅館での歓待の様子ですが、根室の晩餐会も同様だったのでしょう。 <根室で印象深かったのは、朝、丸石を敷き詰めた道路を、たくさんの人が木の下駄を引きずって小刻みに歩くので、その下駄の音で目が覚めたことです。ちょうど手を叩くような音で、不思議な音楽のようです。> この辺りから、アンの日本の文化への興味が深まっていったようです。
by seitar0
| 2023-02-26 19:10
| 須賀敦子
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