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遠藤周作は1950年6月4日、戦後初のフランスへの留学生として、三雲夏生、昂兄弟とともにフランスの旅客船ラ・マルセイエーズ号で横浜港を出港します。同じ四等船客には、フランスのカルメル会修道院で修行を目指す井上洋治がいました。 この4人は豪華客船とはいうものの、「奴隷船」のような船艙のキャビンで過ごすのですが、その様子はユーモアたっぷりに『赤ゲットの仏蘭西旅行』に書かれています。 実はこのときマルセイエーズに乗船した留学生に、もう一人毛利眞美という女子画学生がいました。『赤ゲットの仏蘭西旅行』からです。 <こうしてぼくらの船旅は始まりました。神戸からは、パリに絵を習いにいかれる、毛利というお嬢さんが乗られた。もちろんお嬢さんですから、彼女は向う天国組の客室で、ぼくらと起居は共にされなかったが、何くれとなく不自由なぼくらを助けて下さった、いいお嬢さんでした。> http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=8560 「横濱界隈通信」というブログに遠藤周作が乗船した日に、戦後復活したフランス政府給費留学生制度の戦後第一回に選ばれた人達がラ・マルセイエーズ号に乗船しフランスに向かったことが書かれていました。その第一回のメンバーに選ばれた多くが教授・助教授クラスの人々で、吉川逸治(美術史)森有正(哲学)吉阪隆正(建築)田中希代子(ピアニスト)今井俊満(画家)の5名です。 ここに遠藤周作らの名がないのですが、彼らとは別に、同じ船でカトリック教基金をもとに留学したのが遠藤周作たちと毛利眞美であったことが、『夢のあとで フランス歌曲の珠玉古澤淑子伝』に書かれていました。 <昭和二十五年。占領軍発行のパスポートを持った戦後初の女子画学生がパリにやってきた。毛利眞美(のちに画家・堂本尚郎夫人)。お嬢さん育ち、わがままいっぱいの眞美。戦前の女らしさ教育に大反発。お姉さまたちのお茶やお花などをたしなむしとやかさなんか、大嫌い。私はパリか北京へ、絵の修行に行きたいと父母を説得。パリへ留学となった。フランス行きの旅客船、ラ・マルセイエーズの戦後第一号の客となったのは眞美のほかにのちの作家、当時リヨン大学へ留学する遠藤周作がいた。> ![]() そして毛利眞美はパリで古澤淑子に出会い、<私がパリにいた二年間、古澤淑子さんがそばにいてくださることで、人生の、生きる基本のすべてを教わりました。>というほど、大きな感化を受け、二人は1952年にマルセイエーズ号で帰国したのです。遠藤周作はこの留学でリヨン大学で学んでいたとき、大戦中も日本に戻ることのなかった古澤淑子と20年ぶりに再会したのです。 私は遠藤周作は国費留学だとずっと思ていたのですが、今回カトリック教基金による留学であったことを初めて知りました。
by seitar0
| 2023-02-18 12:28
| 遠藤周作
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