城山三郎『零からの栄光』は零戦以来の名機といわれた紫電改を誕生させ、戦後もゼロから立ち上がった、川西航空機―新明和工業の物語。


川西航空機の前身は、1920年に神戸の和田山通りに設立された川西機械製作所で、1928年にはその飛行機部門を継承し、川西航空機として独立し、鳴尾に新工場を建設します。
<当時としては、かなりの大会社であり、川西家がそのほとんどを出資。その資本で、武庫川尻に在るかつての鈴木商店所有の鳴尾ゴルフ場の一部を買収、新工場を建設した。
従業員は三百五十人、通勤用に会社は自転車を支給した。まわりは苺の名所の鳴尾村。いちめんの苺畑の中に、古い農家が点在している。目の前には、瀬戸内海がひらけ、隣接の残り九ホールのゴルフ場から白球が飛び込んでくるというのどかな風景。工場視察に来た海軍士官の中には、外国駐在などでゴルフをおぼえた人もいて、視察後、隣のゴルフ場へ直行したりした。>


新工場建設6年後の昭和9年の今津付近略図には小説の通りの情景が描かれていました。
武庫川河口にある、まだ小さな川西製作所、複葉機が2機停まっています。

当時製作を始めた一三式水上練習機でしょうか。
河岸には汐ひがりと書き込まれており、まだ戦争は差し迫っていません。
西隣にはゴルフ場、その西に阪神パークがあります。

ゴルフ場の北側に鳴尾競馬場があり、その北側一面には鳴尾いちご畑が広がっていました。
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