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小学校時代まで大連で過ごした古澤淑子は遠藤周作の母・郁に師事し、声楽家への道を歩み始めますが、淑子の母は三人の娘たちに自由学園で教育を受けさせたいと、東京に戻ります。大連では多くの使用人たちと広大な西洋屋敷に住んでいたため、東京の家に移ったときは、体があちこちにぶつかってしまい、なんて狭いんだろうと感じたそうです。 <母が娘たちの教育をぜひ自由学園でと思い至ったのは、母方の祖母・澤栄子の影響があった。祖母は、羽仁もと子編集の『婦人之友』を愛読しており、その雑誌に貫かれた真実と美、友愛と協力によって育まれる自由の精神を尊んでいた。> 『夢のあとで』に、昭和6年に、母親が知人のシスター・ヨハナンに宛てた自由学園を紹介する手紙が紹介されており、当時の自由学園の様子がよくわかりますので、長文になりますが、引用させていただきます。 <私は普通の生徒の母というに過ぎませんが、学校教育に対してかくも興味を持っているのでございます。私の娘たちが通っています自由学園は非常に面白い組織になっています。まず小学校、女学校、高等科も三つでできています。この学校の主義としますのは、家庭的友情的気分の中で実生活を土台にした常識的教育を行い、さらに学科によって生徒の頭脳の働きを育て、能力の調和を図ろうとするものです。先生と生徒以外、ただの一人も使用人ののいない学校です。給食=作ること、配膳、片づけをはじめ、掃除、新聞発行、畑仕事、鶏の飼育などすべて生徒の手仕事で成り立っているのです。生徒がこうして毎日毎日、勉強のかたわらこれらの仕事をしているのがどれくらい、生きた学問になるかわかりません。ただ母として喜ばしいのは、娘たちはどんなときも学校を休もうとはしません。喜んで登校する姿が、なにより学校の楽しさを物語っていると思います。子どもの姿に私までも励まされ、今日の仕事にベストを尽くそうと思うほどです。ミスター羽仁とミセス羽仁の尊き趣旨に心から賛同し、これからも娘たちが自由学園で精神と学力と生活能力のすべてを鍛えられ自由と自律が得られるよう祈るばかりです。> 羽仁もと子が食堂を作った経緯については、孫の羽仁進が『自由学園物語』で次のように述べています。 <彼女は発育盛りの学童の昼食が弁当であることに、大きな疑問を持っていた。夕食より、昼食をゆっくり食べるほうが健康のためには大切だという見地から、栄養のあるあたたかい昼食を子供たちにとらせる方法はないものかと考えた。それと同時に、祖母はかねてから、一般の女学校で教える料理が真似ごとばかりで、少しも実用的ではないと考えていた。そこで、この二つの考えが結合し、学校に食堂を併設して、学校の料理の時間を、生徒たちの昼食をつくる時間にすればいいということになったわけである。> 教育の重要性は皆、理解していると思うのですが、受験勉強ばかりでなく、このような独自性を持った素晴らしい学校が日本で増えていかないのは、何故でしょう。 自由学園明日館はフランク・ロイド・ライトの設計で、他の3棟とともに重要文化財として保存され、現在は様々な社会活動の場として使われています。 古澤淑子は、建物について、「明るくて温か味があったわね。中の大きな芝生を囲むような形で平屋の教室があり、桜並木の道路を隔てて講堂と運動場がありました。普通の学校にありがちな重々しく威嚇的なところがなくて、すぐ好きになりました」と述べています。 以前私も自由学園明日館を見学させていただきました。 上の写真が建物の配置がわかる模型です。 こちらが、古澤淑子たちが300人分の食事を作り、配膳し、食事を楽しんだ暖炉のある食堂です。 ライトの光の採り入れ方は特徴的です。 古澤敏子は自由学園での8年間を楽しく過ごしています。 <当番の朝。授業が始まる前に掃除をして、朝食の準備もした。大きな鉄の釜でたくご飯の白い蒸気。台所の活気。当番のない日は、バスケットボールの朝の練習。大会が近づくと陸上競技の練習。走り、蹴り、飛ぶ淑子。もう母の日記にも淑子の発熱の記載はない。> 荻野綾子に声楽を習った叔子はその後、1937年に自由学園のミスター羽仁、ミセス羽仁らに見送られてフランスへ留学したのです。
by seitar0
| 2023-02-14 14:57
| 遠藤周作
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