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小林信彦は昭和33年に江戸川乱歩が社主の推理小説雑誌『宝石』の宝石社に顧問として採用され、翌昭和34年には江戸川乱歩の後押しで、ミステリー雑誌『ヒッチコックマガジン』の編集長に抜擢され、『宝石』の編集も手伝っていました。 当時、宝石社には戦前の『新青年』のバックナンバーが全冊揃っていたため、小林信彦はこの雑誌を耽読して大きな影響を受けたと述べています。 その『新青年』の編集を担当していた渡辺温が、昭和5年に夙川のJR大師踏切で轢死したのが、夙川事件ですが、小林信彦は『四重奏』で江戸川乱歩や横溝正史らの人物像と共に、プラトン社の『苦楽』から『新青年』に至る雑誌の歴史を解説し、夙川事件に至る経緯を書いています。 まず大正11年に『女性』を創刊した大阪のプラトン社の話からです。 ![]()
「苦楽」の編集長を務めた川口松太郎は探偵趣味の会で、初対面の横溝正史がさかんに「苦楽」の編集について非難したと述べていますが、心の内では評価していたのでしょう。 プラトン社の「女性」と「苦楽」は昭和3年に廃刊となってしまいましたが、それが「新青年」に引き継がれたことはよかったことです。 <プラトン社の二誌のモダニズムの部分は、横溝正史編集の「新青年」に流れ、四代目編集長の水谷準によって完成された。最盛時の「新青年」は、私見では、こうである。「探偵小説専門ではなく、ユーモア小説専門でもない。ユーモアは座談会にも随筆にも雑文にも充ちている。>
谷崎潤一郎が渡辺温の作品を知ったのは大正13年のことでした。プラトン社の雑誌『女性』と『苦楽』が行った映画原案の懸賞公募に渡辺温が「影」を投稿し、一等入選しますが、この時の選者は谷崎潤一郎と小山内薫だったのです。谷崎は「ただ此れだけの作者ではなく、長い将来のある人だなと、直感的に感じた」と述べています。 昭和2年には、渡辺温は『新青年』第2代編集長に就任することになった横溝正史に抜擢され、編集助手として博文館に入社します。 <渡辺温はモーニングを新調し、シルクハットをかぶって、日本家屋の会社に出社した。「子供のような純粋な魂をもった人物」と正史は記している。「春寒」という長い随筆で、谷崎は「ヴァガボンドネクタイ、長い髪、暗い茶色の服・痩せてはいないがゴツゴツ骨張ったいくらかゴリラの腕を思わせる長大な四肢、東北タイプの凹凸のある陰影の深い容貌、おまけに神経質らしい眼」と表現している、。これが大正十三年の渡辺温だ。> その渡辺温が谷崎潤一郎に原稿を頼みに行き、夙川で轢死するという悲劇にみまわれます。 続きは次回に。
by seitar0
| 2022-12-04 15:05
| 夙川
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