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芥川龍之介は上海滞在中、何人かの中国文人に会っており、『上海游記』に最初に登場するは清朝末期の革命家、章炳麟(しょうへいりん)氏です。 <章炳麟氏の書斎には、如何なる趣味か知らないが、大きな鰐の剥製が一匹、腹這いに壁に引っ付いている。が、この書物に埋まった書斎は、その鰐が皮肉に感じられる程、言葉通り肌に沁みるように寒い。尤も当日の天候は、発句の季題を借用すると、正に冴え返る雨天だった。其処へ瓦を張った部屋には、敷物もなければ、ストオヴもない。> NHKドラマ『ストレンジャー 上海の芥川龍之介』の章炳麟氏、本物にそっくりです。 しかし、暖房もなく相当寒い部屋だったようで、芥川は「幸にも風を引かなかったのは、全然奇蹟としか思われない」とまで述べています。 話題は徹頭徹尾、当時の支那を中心とした政治や社会の問題でしたが、気もそぞろに、壁に架けられた大きな鰐の剝製に目をやります。 <私は耳を傾けながら、時々壁上の鰐を眺めた。そうして支那問題とは没交渉に、こんな事をふと考えたりした。――あの鰐はきっと睡蓮の匂と太陽の光と暖な水とを承知しているのに相違ない。して見れば現在の私の寒さは、あの鰐に一番通じる筈である。鰐よ、剥製のお前は仕合せだった。どうか私を憐んでくれ。まだこの通り生きている私を。> 映像にも鰐の剥製がありました。 『上海游記』には書かれていないのですが、3年後に書いた『僻見』で、章炳麟氏との会談で、桃太郎が最も嫌悪する日本人であると語ったことが明かされます。 <僕は上海のフランス町に章太炎(章炳麟)先生を訪問した時、剥製の鰐をぶら下げた書斎に先生と日支の関係を論じた。その時先生の云つた言葉は未だに僕の耳に鳴り渡つてゐる。――「予の最も嫌悪する日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である。桃太郎を愛する日本国民にも多少の反感を抱かざるを得ない。」先生はまことに賢人である。僕は度たび外国人の山県公爵を嘲笑し、葛飾北斎を賞揚し、渋沢子爵を罵倒するのを聞いた。しかしまだ如何なる日本通もわが章太炎先生のやうに、桃から生れた桃太郎へ一矢を加へるのを聞いたことはない。のみならずこの先生の一矢はあらゆる日本通の雄弁よりもはるかに真理を含んでゐる。> 会談の3年後の大正13年に『桃太郎』を発表しているのですが、この中の桃太郎は悪人のように描かれ、日本政府の植民政策を暗に批判したものだったのです。 <桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白ものに愛想をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗とか太刀とか陣羽織とか、出陣の支度に入用のものは云うなり次第に持たせることにした。> 平和に暮らしていた鬼たちの島を征服する様子も、残酷に描かれています。 <桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒を忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、亭々と聳えた椰子の間を右往左往に逃げ惑まどった。 「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」> 日本は大正4年に、二十一カ条の要求を中国の袁世凱政府につきつけ、要求の大部分を承認させ、これを契機に中国国内では激しい対日反感の気運が高まっていきました。 それを中国で肌身で感じて帰国した芥川が執筆したのがパロディ版ともいえる『桃太郎』でした。 当時の政府や国民はこの作品をどのように受け取っていたのでしょう。
by seitar0
| 2022-11-17 17:43
| 海外
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