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芥川龍之介は1921(大正10)年、大阪毎日新聞社の海外視察員として上海を訪れました。 上海上陸当日の様子は『上海游記』に詳しく書かれていますが、夕食の後、2軒のカフェを訪ねます。上海のカフェ文化は1843年に上海租界が設立されたのを機に、コーヒーがホテルでヨーロッパ系の住民や旅行者に提供され、それが徐々に上海の街に広まっていきました。 さて、『上海游記』やTVドラマ『ストレンジャー 上海の芥川龍之介』で当時のカフェがどのように描かれたか見てみましょう。 (TVドラマでは、レストランと2件のカフェでの出来事が、ひとつのカフェの出来事として描かれていました) 芥川は上海上陸後、宿を万歳館に定め、まずシェッファアドというレストランで食事をします。 ![]() <その晩私はジョオンズ君と一緒に、シェッファアドという料理屋へ飯を食いに行った。此処は壁でも食卓でも、ひと通り愉快に出来上っている。給仕は悉とく支那人だが、隣近所の客の中には、一人も黄色い顔は見えない。料理も郵船会社の船に比べると、三割方は確に上等である、私は多少ジョオンズ君を相手に、イエスとかノオとか英語をしゃべるのが、愉快なような心もちになった。> ![]() その後、カフェ・パリジャンに行きます。 <我々は食事をすませた後、賑やかな四馬路を散歩した。それからカッフェ・パリジャンへ、ちょいと舞蹈を覗きに行った。舞蹈場は可也広い。が、オオケストラの音と一緒に、電燈の光が青くなったり赤くなったりする工合は如何にも浅草によく似ている。唯その管絃楽の巧拙になると、到底浅草は問題にならない。其処だけはいくら上海でも、さすがに西洋人の舞蹈場である。> カフェ・パリジアン(Café Parisien)は1918年にトリアノン・カフェ(Trianon Café)として開業し、後に引き継がれたカフェです。 カフェではダンスと演奏はつきものだったようです。 <カッフェ・パリジァンを引き上げたら、もう広い往来にも、人通りが稀になっていた。その癖時計を出して見ると、十一時がいくらも廻っていない。存外上海の町は早寝である。> 芥川らは更にもう一軒のカフェに行っています。 <このカッフェはパリジァンなぞより、余程下等な所らしい。桃色に塗った壁の側には、髪を分けた支那の少年が、大きなピアノを叩いている。それからカッフェのまん中には、英吉利の水兵が三四人、頬紅の濃い女たちを相手に、だらしのない舞蹈を続けている。最後に入口の硝子戸の側には、薔薇の花を売る支那の婆さんが、私に不要を食わされた後、ぼんやり舞蹈を眺めている。私は何だか画入新聞の挿画でも見るような心もちになった。画の題は勿論「上海」である。> ドラマではこの画入新聞まで作成していました。 <其処へ外から五六人、同じような水兵仲間が、一時にどやどやはいって来た。この時一番莫迦を見たのは、戸口に立っていた婆さんである。婆さんは酔ぱらいの水兵連が、乱暴に戸を押し開ける途端、腕にかけた籠を落してしまった。しかも当の水兵連は、そんな事にかまう所じゃない。もう踊っていた連中と一緒に、気違いのようにとち狂っている。婆さんはぶつぶつ云いながら、床に落ちた薔薇を拾い出した。が、それさえ拾っている内には、水兵たちの靴に踏みにじられる。> ![]() <「行こうか?」 ジョオンズは辟易へきえきしたように、ぬっと大きな体を起した。「行こう。」 私もすぐに立ち上った。が、我々の足もとには、点々と薔薇が散乱している。私は戸口へ足を向けながら、ドオミエの画を思い出した。 「おい、人生はね。」ジョオンズは婆さんの籠の中へ、銀貨を一つ拡りこんでから、私の方へ振返った。「人生は、――何だい?」「人生は薔薇を撒き散らした路であるさ。」> ドラマでは床に広がったバラを1本買ってやったのは芥川になっていました。 カフェの外へ出ます。 <我々の側には、何時の間にか、あの花売りの婆さんが、くどくどと何かしゃべりながら、乞食のように手を出している。婆さんは銀貨を貰った上にも、また我々の財布の口を開けさせる心つもりでいるらしい。私はこんな欲張りに売られる、美しい薔薇が気の毒になった。この図々しい婆さんと、昼間乗った馬車の馭者と、――これは何も上海の第一瞥に限った事じゃない。残念ながら同時に又、確に支那の第一瞥であった。> これが『上海游記』で第二章、「第一瞥(上)」と題された結びです。 中国には関心が強かった芥川龍之介の上海の第一瞥、第一印象という意味だと思いますが、決して良い印象ではなっかたようです。
by seitar0
| 2022-10-27 22:01
| 海外
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