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神戸ゆかりの美術館で、白洲次郎生誕120 周年記念特別展「白洲次郎・白洲正子―武相荘折々のくらし」が開催されています。町田市にある武相荘には一度訪ねたことがあるのですが、どのような展示になっているのか行って見ました。 ![]() 写真は次郎のアルバム「Winter Vacatioon 1925-26」にあるもので、ナンバープレートのXT7471が読み取れます。 次郎は綿貿易で財をなした父からの潤沢な送金を受けて、ケンブリッジ大学に留学し寄宿舎で学生時代を過ごしています。日本で中学時代からアメリカ製のクルマに 乗っていた次郎は、英国でもオイリー・ボーイとよばれるほどクルマいじりをしながら走り回っていたそうです。 ![]() 次郎のドライビングキャップとゴーグルも展示されていました。(写真は図録から) そして奇跡的にも、その愛車の登録ナンバーXT7471もそのままに、英国のベントレーファンが長年保存されていたのを、長い交渉の末、涌井清春氏が譲り受け、日本に空輸されたそうです。 町田市の武相荘を訪ねた時に撮影した同型車の写真です。 この車に、何と関西学院時代の稲垣足穂が乗せてもらっているのです。 稲垣足穂の『飛行機物語』に、神戸一中の那須をリーダーとして稲垣足穂らが本物の飛行機造りに取り組み始めた時のことが書かれています。 <この頃、白洲次郎の自動車に乗せて貰ったことがあった。先方は県立一中のカーキ色の制服をきちんと身につけ、軍靴の上にゲートルを巻き締めた、落着いた少年であった。なんでも午後遅く前ぶれもなく彼の運転するオープンカーが表に停まったので、那須と私はそれに同乗して夕方のトアロードを下り、楠公神社東門の傍の材木屋まで出向いたのだった。私は車上で待っていて、那須が下りて、予て注文してあったボディー用の檜の角材四本を受取り、こうして尾長鳥になった自動車で再び中山手通二丁目まで送り届けられたのである。白洲君の上には彼が一中卒業後にフランスの飛行学校へ行くのだとの噂があって、私は、自分などの到底及びもつかぬ話だと淋しい気持ちに襲われていた。> 写真の運転席の白洲次郎の姿がその通りに描かれていました。 ところで、白洲家は三田藩九鬼氏に代々使えた家柄で、次郎は貿易商を興して巨万の富を築いた父・文平の次男として芦屋市(旧・武庫郡精道村)で生まれました。その住所は「武庫郡精道村ノ内芦屋村字樋口新田712番地」で、大正11年(1922年)に伊丹へ移っています。 ![]() この次郎10歳の時の家族写真はおそらく芦屋の白洲邸で撮影されたものでしょう。しかし、跡地を探して訪ねても現地には、まったくその面影は残っていませんでした。
by seitar0
| 2022-08-23 10:25
| 芦屋
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