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北尾鐐之助「阪神風景漫歩」からです。
![]() <いつか六甲の頂から、この河の河口に発達した砂角の大きさをみた。鳴尾のことは昔小松崎と云ったとある。現今の小松から今の河口までは二粁に近い。いつの間にか、あれだけの突角をつくったのである。そしてその中に、十二万坪の鳴尾競馬場がつくられた。> ![]() 阪神鳴尾駅の周りは鳴尾いちご畑、その南が鳴尾競馬場、さらに南には鳴尾ゴルフ場、川西製作所が描かれています。 ![]()
「阪神風景漫歩」から続けます。 <武庫大橋を少し西にあるくと、そこに甲子園へ折れる、阪神の「上甲子園」という停留所ができた。線路の両側はずっと長い堤防だ。東海道線の通っている下新田のところから、西に流れていた武庫川の枝川を、そこから断ち切ったのだ。両方の堤防から低く沈んだ、川底の真ん中を電車が走る。甲子園の運動場も、その河の中にできたのだ。やがて、あの沢山な堤の松の景観もいまに形をなくすることだろう。元の堤であったこの丘の上は、生い茂った叢の中に、細い径を通じていて、まだ昔の寂しさをそのままに残している。> この光景、今ではまったく想像できません。昭和5年の甲子園住宅経営地鳥瞰図を見てみましょう。 ![]() 東海道線の橋のあたりから武庫川は分岐していたようで、堤防に沿って松並木が続いており、その堤防の間が甲子園一番町から十番町になっています。そしてそれまで川底だった真ん中を甲子園線が走っています。 ![]()
また南野武衛著「西宮文学風土記」によると佐藤愛子さんの父の佐藤紅緑邸は <昭和八年八月、甲子園二番町八番四四号に新居の豪邸を建て移り住む。阪神甲子園線跡を北上、三番町の停留場跡を過ぎると北に吉本病院がある。そのやや北のニ、三番町の境を右手に入った四つ辻の東北の角の家がそれである。>とのことです。 また北尾が述べている上甲子園停留所とは、旧阪神電鉄甲子園線(上甲子園―中津浜)の駅で、赤い線で示された武庫大橋の次の駅です。 ![]()
![]() 鳥瞰図を見ると、北尾が述べているように、堤の松並木の間に、甲子園球場も、百面テニスコートも、すっぽりはいっています。 また森茂久弥の家は甲子園七番町だったとのこと。西畑の文化住宅は八番町のあたりでしょうか。 ![]() 「沢山な堤の松の景観もいまに形をなくすることだろう」と北尾が述べたとおり、現在の航空写真でおわかりのように見る影もありません。
by seitar0
| 2022-05-30 12:08
| 北尾りょうのすけ
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