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鳴尾文化村について調べるうち、幼くして彌が鳴尾の伯父・密蔵の家に預けられたことにも興味がわき、佐藤愛子さんの大作『血脈』を一挙に読みました。 佐藤愛子さんは『血脈と私』で、この小説はどんな家庭から不良は生まれるかという教科書になると語っておられます。その原因はやはり、時代を一世風靡した小説家佐藤洽六の自由奔放な生きざまにありました。 『血脈』の冒頭では、洽六のけた外れの女性関係が明かされています。 <佐藤洽六四十二歳、妻ハル三十九歳。夫婦の間には十七歳の長女喜美子、十三歳の長男八郎、十一歳の次男節、三男三歳の彌の四人の子供がいるほかに、生後一年足らずで死んだ二人の女の子と五歳で死んだ女の子二人がいた。洽六はハルに合計八人の子供を産ませた上に、いねという芸者上がりの妾を囲い、そこには八歳の幸男、六歳の与四男の二人の男児がいた。> いねのほかにも洽六は女を囲い、手当たり次第に関係をつけるという奔放な生活。 大正6年にはぞっこんほれ込んだ女優三笠万里子(本名横田シナ)との間に長男六郎が生まれますが、翌年死去。続いて大正8年には長女早苗が生まれていますが、ハルとの離婚が成立したのは大正10年になってからのことでした。次女佐藤愛子さんが生まれたのは大正12年です。 ![]() <兄達にしてみれば、自分達の家庭は、私の母によって破壊されてしまったわけです。八郎は長男だから父のもとにいるけれど、三番目の兄(彌)は伯父さんのところに預けられる。二番目の兄(節)はあっちへ預けられたりっこっちへ預けられたりして居所が定まらないのです。そうした可哀そうな少年時代を、それぞれが過ごしたのだというこが分かったのはずぅーっと後になってからのことです。> しかし、その兄達も愛子さんには優しかったそうです。 <もちろん私はこうした兄達を嫌ったり憎んだりしていました。けれども兄達にしてみれば、苛めてもおかしくない関係であるにもかかわらず、私や姉をとても可愛がってくれたのです。それはなぜかと不思議でしょうがないのですが、やはり優しさだったと思います。> そして、大正6年の暮れに鳴尾の密蔵伯父の家に預けらた彌と森繁久彌の鳴尾小学校時代の関係が『血脈』に書かれているのですが、森繁久彌は菅沼姓で登場しますので、一般の読者はなかなか気付かないそうです。 『血脈と私』からです。 <―豪華キャストと言えば、彌が子供の頃、伯父さんのところに預けられますね。あそこで友だになるのは森繁久彌さんでしょう。 佐藤 気がつきました?あれ、気がつく人少ないんですよ。最初は菅沼という姓で、あとで森繁に変わるんですけどね。あれは森繁さんに取材したんです。ああいうときに、読者サービスとしてね、これは森繁久彌であるということを書いたほうがいいんだろうなと思うけど、それを書くと、バランスが崩れてしまうでしょう。本当に注意深く読んでくださってるんですね。> 佐藤愛子さんが森繁久彌に取材して書いた彌との鳴尾小学校の出来事も面白く読みました。
by seitar0
| 2022-05-15 12:17
| 佐藤愛子
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