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1989年10月25日午後8時からの宝塚歌劇団ニューヨーク公演初日に、阪田寛夫夫妻はアルゴンキンホテルからラジオシティ・ミュージックホールまでアメリカン・アヴェニューを徒歩で向かいます。そこで気の小さいと自認する阪田寛夫の心配が始まります。『ブロードウェイの景観』からです。 ![]() <果たして六千人の劇場で六回も公演して、客が入ってくれるのだろうか。アメリカのショーの裏方たちが、宝塚式の秒単位のきっかけによる転換また転換のリズムを、すぐ呑み込んでくれるだろうか。> ![]() さらに娘の大浦みずきさんが2年前に膝の半月板が割れ、尼崎市の労災病院で大手術し、7カ月のリハビリテーションを続けてようやく復帰したことから、舞台で跳躍した娘が悪い方の足から着地するときには、息をつめていると、心配を抱えてとぼとぼと会場に向かったそうです。 ![]() <この宵彼の目を射たのは、通りをはさんで劇場正面に据えられたサーチライトの光芒、入口を囲む人の波、テレビ撮影用の照明、その間を通り抜けて入る礼装の貴顕紳士淑女だった。もっと驚いたのは、いつのまにかホール横の五十丁目の通り一杯に溢れてしまった入場客の大半が、アメリカ人だったことだ。> これで阪田寛夫の第一の心配は吹き飛んだのですが、フランク・シナトラ公演以来の大入りで、夫妻はアメリカの群集にもまれて開幕に遅れてようやく入場できたのです。 ![]() <宝塚は中学卒から高校卒までの年齢の娘たちを「入学試験」で選んで、二年間学校で和洋の芸事を教えた上、研究科一年生という名称で舞台に立たせる。七十五年前にお伽歌劇「ドンブラコ」で幕を開けた頃からの伝統で、創立者であり、草創期の座付作者であり、経営母体の阪急電鉄の経営者だった小林一三は、終身「校長先生」と呼ばれていた。給料は払うけれども、アマチュアリズムは無くさない。かつて「少女歌劇」と称していた歌劇学校は、花嫁学校でもあるというのが小林一三の考えであった。> ![]()
![]() 小林一三の「宝塚歌劇」は坪内逍遥の『新楽劇論』にまでつながっていることがよくわかりました。 『ブロードウェーの景観』は短編ですが、親娘の愛情、宝塚歌劇の歴史、海外公演の様子などが見事に著されており、阪田寛夫のエッセイの中でも優れた作品でした。
by seitar0
| 2022-02-11 20:34
| 阪田寛夫
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