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遠藤家のキリスト教における、いわばメンターの役割を果たしたのはドイツ人ヘルツォーク神父でした。ヘルツォーク神父はカトリックダイジェストの編集長も務め、還俗後の著作も多いのですが、その経歴はあまり公開されていません。 ![]() 1993年に刊行された『日本の疑似民主主義』は、日本国憲法がいかに民主的であるか、司法の政治的役割、人権、少数派、宗教の自由、スキャンダル、日本の選挙制度:不平等な方程式、日本の教育、井永三郎教授対文部省、裁判所、司法の倫理と再軍備および第9条の解釈などについて紹介した彼の著作です。 遠藤周作の『影法師』で「貴方」として登場する人物のモデルは明らかにヘルツォーク神父であり、遠藤家との出会いなどは、小説に書かれていることが、事実に近いのかもしれません。 その出合いの場は灘の聖愛病院でした。 <僕がその年の秋、盲腸炎にかかって灘の聖愛病院に入院した時、手術後の抜糸がすんで、伯母と母とからお粥を食べさせてもらっていた僕の病室に突然、貴方は入ってきた。母たちはびっくりして立ちあがりました。> この病院にぴったりなのは、灘の神戸海星病院なのですが、沿革を調べると明治4年に神戸万国病院として創設し、小説に登場する昭和10年代は神戸市葺合区布引・新生田川東岸にありました。 ![]() カトリックの修道会と縁のある病院ですから、この病院がモデルかもしれません。 <その時、扉をあけてあらわれた貴方は全くちがっていた。がっしりした体を真白なローマン・カラーのついた手入れの行き届いた黒服につつみ、栄養のいい顔に紳士的な微笑を浮かべた貴方は、僕ら三人の日本人をどぎまぎさせるに充分でした。> ![]()
ヘルツォーク神父が来日したのは昭和10年。加古川では昭和8年に北海道の聖母修道院が聖母園創立のために八幡(やはた)に土地を購入し、その後国包(くにかね)仮教会を建てていますから、そのころ加古川にあった修道院でヘルツォーク神父は1年間過ごしたのでしょう。 <退院してからも母は僕をつれて、たびたびこの病院をたずねました。彼女は普通の神父たちの話には飽き足りなかったのです。洗礼こそ受けていましたが、きつい性格を持っている彼女には自分の眼の前に突然あらわれた貴方から、渇えていたものを充たされると思えたのでしょう。> 遠藤家は昭和14年に夙川から仁川の月見が丘5丁目に引越し、自宅の隣に講堂を建て、母郁による音楽のプライベートレッスンやホームコンサート、ヘルツォーク神父らによる聖書の講話やミサが行われました。 ![]() <しかし、二年後、貴方は私の伯母や母の指導司祭として家に土曜日ごと訪れるようになりました。伯母の友人や教会の信者たちも集まってきました。> 小説の中で「二年後」と書いていますので、遠藤家とヘルツォーク神父との出会いは昭和12年のことだったようです。 <「人間は強くならねばならぬ。努力せねばならぬ。生活でも信仰でも自分を鍛えなばならぬ」貴方はそう口には出して言いませんでしたが、実生活でそれを自分で実践していました。貴方がどんなに活動的に布教という仕事にとりくまれたか、自分の神学研究を怠らなかったか、誰だって知っています。非難の余地は少しもなかった。誰もが貴方を(母とおなじように)立派な方だと尊敬した。たった一人、僕だけが子供心にもその避難の余地のない貴方に苦しみはじめたのでした。> この頃から遠藤周作は洗礼を受けたことについて、合わない洋服を着せられたと感じはじめたようです。「貴方」の強さに象徴される厳格なキリスト教の教えの中に、弱者の救済を見出そうとしたのです。
by seitar0
| 2021-11-19 10:33
| 遠藤周作
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