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阪急宝塚駅近くの宝来橋たもと(南詰)に、あまり目立ちませんが与謝野晶子の歌碑があるのをご存じでしょうか。 ![]() 宝塚にてよめる 武庫川の板の橋をば ぬらすなり かじかの声も 月の光も 与謝野晶子 歌碑建立主旨 宝塚市を代表する文化の一つ宝塚歌劇の機関紙「歌劇」の創刊号に日本を代表する歌人与謝野晶子の「武庫川の夕べ」と題する歌三首が掲載されていました。 与謝野晶子は女性の自立と反戦平和にかかわり貢献した人でもあります、その晶子が夫鉄幹と共にこの宝塚を訪れたことはあまり知られていません。 緑連なる六甲、長尾連山とこの武庫川が街のシンボルとして自然が体験できる自然保護に配慮した山や川があることをより多くの人たちと共に願い、私たちの街の劇場文化の発展と武庫川の自然保護を祈念して、この碑を建立するものです。 平成11年4月13日 宝塚ライオンズクラブ 会長(第37代)堀本雅也 与謝野晶子が宝塚を訪れたのは大正6年、「歌行脚」のため、苦楽園に逗留していたときでした。小林一三に招かれて、宝塚少女歌劇を観劇したようです。その様子は後に与謝野家の長男・光と結婚することになる小林天眠の三女・迪子が『想い出 わが青春の與謝野晶子』に記していました。 ![]()
![]() 歌劇が終わって、小林一三から歌劇学校の女生徒たちや憧れのスターに紹介されます。 <彼女達は女流歌人として義母を尊敬の目で見上げ、礼儀正しく挨拶をしていた。義父母と宝塚の人達が記念撮影をしている間、私達はめいめいご贔屓のスターのことを夢中になって話し合っていた。> 与謝野晶子は大正9年にも山田耕筰と観劇しており、歌劇が大好きであったようです。 <撮影室から出て来ると、小林一三氏は用意して来た数本の女持ちの扇子に、義母の歌の染筆を乞い、出来上がった扇子はスター達に渡された。喜んでいる彼女達を見て、長姉は心から羨ましげに「ええわぁ、うちも欲しい」と呟いてため息をついた。> ![]() この扇子も逸翁美術館に所蔵されています。 小林一三が『歌劇』お創刊したのは大正7年8月のこと。そこに前年の与謝野晶子の歌三首を掲載したのです。
by seitar0
| 2021-09-04 11:03
| 宝塚
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