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小松左京『威風堂々うかれ昭和史』から夙川時代のお話を続けます。 <―それで、夙川の生活は、小松さんにとって、どんな感じでしたか? それは大阪の街中の暮らしに比べれば、自然は多いし、大きいし、近くにあって、奥も深いが、決して「田舎」という感じでなく、とてもひらけてショックな「郊外」という感じだった。特に松林や、松並木が多かったな。> 昭和の初めには、阪急夙川駅周辺の殿山町、雲井町などで郊外住宅の開発が進みました。 西宮全体だと思いますが、家に大きな松や石燈籠があった家も多く、現在では更地になって松の大樹だけが残されている空地をみかけます。 ![]() <夙川は昭和初期の計画都市である。かつては、松林をできるだけ屋敷内に残すという条件で土地が売られたのであろう、高い松の木がほとんど、どの家からも聳えていた。植木職人が剪定を重ねて横に伸びる枝が切られ自然な樹形を失ってひょろ長い松の木たちだったが、街をうっすらと松林がおおっていた。> と述べられています。 『威風堂々うかれ昭和史』に戻ります。 <家は前にも言ったように二階建ての借家で、五、六軒ならんでいたが、長屋じゃなくて、一応独立家屋だったし、すぐ東隣は細いたたき道路をへだてて、テニスコートだったし……。 ―市営の? いや個人所有だ。そこも最初は、雑草のはえた空き地で、三角ベースの野球や釘さしなどをやっていたが、テニスコートになると、全網でかこわれちまった。その一部をペンチで切って穴を開けてはいって遊んでいて、よく監視人につかまってなぐられた。 ―まさか、テニスコートで釘さしをやったんじゃ……。 それがやったんだよ。> この時代、夙川周辺にはテニスコートがいくつもありました。 ![]() <そこを締め出されたあと、小学校の同じクラスの沢松という男の家のテニスコートでまた釘さしやって、中学校の兄さんにつかまって、罰に除草とローラーをひかされた……。 ―沢松って……まさかあの沢松和子嬢の? 小生の友人は、たしか彼女の叔父になるんじゃなかったかな。なにしろ神戸は貿易港で、大正期の第一次大戦で船成金も多かったろ、阪神間も西宮より西には、個人の「お邸」所属のテニスコートは多かった。> ![]() 「グラフにしのみや‘68」に沢松順子・和子姉妹の紹介記事が掲載されていました。 ![]() ところで、小松左京が釘さしをした沢松家のテニスコート、高架となった阪急電車の車窓から見えていました。 ![]() 因みに、緑色の丸印が常磐町の一本松で、谷崎潤一郎の『細雪』に登場し、奥畑がこの近く住んだことになっています。随筆家の森田たまさんもこの近くにお住まいでした。 沢松家のテニスコート、現在どうなっているか行ってみると、その跡地には大きなマンションが建ち、その間に挟まれて、小さな「常盤けやき公園」がありました。 ![]() 年齢でいえば、私と同学年だった沢松和子さん、現在はどのようにされているかWikipediaで調べてみると、現役選手引退後は、吉田宗弘(現・吉田記念テニス研修センター理事長)と結婚され、吉田記念テニス研修センターを運営。2019年度からは日本テニス協会副会長に就任されており、現在も日本テニス界の重鎮として活躍されていました。 ![]()
by seitar0
| 2021-07-18 15:46
| 小松左京
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