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今回公開された田辺聖子さんの十八歳の日記は、日記以上の読み物という印象を受けましたが、やはりいつか、小説にしたいという思いがあったのではないでしょうか。作家の取材ノートのような役割を果たしたのかも知れません。 ![]() それが、昭和36年に発表された自伝的小説『私の大阪八景』と読み比べると、よくわかります。 6月1日の大阪大空襲で、樟蔭女子専門学校から福島区の家に帰る様子や、焼けてしまった家にたどり着いて、家族と再会する様子など、日記に書かれたいたことが、描写を少し小説らしくして、ほとんどそのまま『私の大阪八景』に描かれれています。 玉音放送のあった8月15日の日記は、昂揚した心を表すためか、この日だけ突然、文語調で書かれていて、実は少し読みづらいのです。 しかし、『私の大阪八景』を読むと、その時の田辺さんの心の内がうまく描かれていて、日記を解説してもらっているように感じました。 ![]() <日記をつけているといくらでもあとからあとから書けるのだった。まず、姿勢を正して、「痛恨の涙、滂沱(ぼうだ)として流れ、肺腑はえぐらるるばかりである。われら一億同胞、胸に銘記すべき八月十五日。ああついに帝国は無条件降伏をしたのである。」と書いた。「何という懦弱(だじゃく)であろうか。大和民族は一人として、瓦となり全からんと期するものはないのである。一億玉砕を目標にがんばって来たのである。今まで何のために艱苦(かんく)をかさねたのであるか。皇国の不滅を叫び、天皇陛下万歳を奉唱し、後につづく者あることを信じて逝った幾多の英霊に対して我ら一億、何のかんばせあってかまみえん。」トキコはだんだん文語調になってかきすすんで来たが、ちょっと行をあけて、歌を作った。 「国憂うおとめ心のひとすじにすべてをささげまつりしものを」> この歌は実は日記には書かれていなかったのですが、ほぼ日記を参照しながら書かれたようです。 ![]() 一億玉砕を信じていた田辺聖子さんの、敗戦を知った衝撃と無念さ、占領下での教育の180度転換、それを軍国少女がどのよに感じ取っていたか、小説を読むとよく分かります。 8月17日に学校で軽挙妄動するなと訓示されますが、一億玉砕ではなく、全面降伏だったという、軽々しさを考えると、日本人はみな軽挙妄動したくなるのも、むりはなかろうと批判の目を向け、 <東久邇内閣は「一億総ざんげ」というモットーを発明した。戦時中には「一億一心」や「すすめ一億、火の玉だ」という標語がたくさんあった。一億は日本国民の総数である。戦争や空襲で、だいぶん欠けているはずである。その一億だけ消さずにおいて、あとへ総ざんげをつけたらしい標語の作り方が、トキコにはまたがらんどう精神に思えた。どこで、何が消えていってしまったのか分からないが、消えたものがある。それに、総ざんげといったって、何を国民がざんげしてよいのやら、その標語の口吻のかるがるしさと「ざんげ」という言葉の重々しさがチグハグである。トキコはその標語に、軽挙妄動の精神を感じてしまう。それが日記に、すらすら社説みたいなことを書かせてしまう。> ![]() さすがユーモアを交えた田辺さんの批判精神。ただ今回公開された8月17日の日記ではここまで書かれておらず、その日の日記の最後は、「私はどうすればいいのか。成るようにしかなるまい。」と虚しさを書かれていました。
by seitar0
| 2021-07-14 12:09
| 田辺聖子
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