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2019年に亡くなられた田辺聖子さんの昭和20年4月から昭和22年3月にかけての日記がご自宅でみつかり、ニュースにもなっていたので、田辺聖子「十八歳の日の記録」と題して掲載された文藝春秋7月を早速購入しました。 ![]()
当時、田辺聖子さんは樟蔭女子専門学校に通っていて、学徒動員や、福島のご自宅が大阪大空襲で全焼した時の事、8月15日降伏を受け容れたことに対する悲憤慷慨、戦後の貧しさの苦悩など、日記の形で当時の世相を含め率直に語られ、さすが文学少女田辺聖子さんの遺された日記と、感銘いたしました。 田辺美奈さんも、<この日記を多くの方に読んでいただくことで、作家としての伯母を理解していただくと同時に、戦争の記憶が具体性を失い、忘却のかなたへと失われつつある流れをわずかでも堰きとめることができればと祈っている。>と述べられており、今回は日記から軍国少女が戦争をどの様に捉え、終戦を迎え、どの様に変わったか印象に残った部分を少し紹介させていただきます。 自ら軍国少女と語っていた田辺聖子さんですが、当時の政府に無批判であったわけではなく、昭和20年4月14日の日記には、<父は君主機関説で、この点が大いに私と考えが違う。私はこれを憎む。と同時に父の元老中心政治の打破という点には同意する。全く日本くらい、実力もないくせに老人が威張り散らす国はない。>とし、更に最後には、 <老人よ引っ込め!若人よ大いに伸びよ。母も言う。「特攻隊で若い人がどんどん死んではるのに、うまいこと行かんようになったら、辞職しよる。首相なんて勝手のええもんやな」>と記しています。 4月26日の日記では「青春を祖国に捧げ切るという事は、やさしいようで辛く、むつかしいことだ」と述べ、学徒動員の退屈な作業に埋もれて、美しい青春時代を知らずに過ごしてしまうことを嘆いています。特攻隊の若者は美しい青春時代の花を咲かせたとし、 <しかし、我々は違う。我々は縁の下の力持ちに、陰の力持になって戦っているのだ。死ぬことならば日本人である以上できる。特攻隊の人々に劣らず私達もしねる。その自信はある。しかし、こんなところへ閉じ込められて為すところもなく青春時代を過ごすなんて私には堪えられない。自分が可哀想になる。それを考えると、どこかへ早速遊びにゆきたくなる。> 既に、3月13日には第一回目の大阪大空襲があり、中心市街地が焼き尽くされましたが、日記では、まだそれほど切迫感は感じられないものの、軍国少女になりきれない悩みが垣間見られます。 6月2日の日記には前日の第2回大阪大空襲での罹災の様子が詳細に記述されていますが、これを書かれた時の悲しみは如何ばかりだったでしょう。学校の防空壕に退避していた田辺さんは、鶴橋まで出て、その後悪い足をひきずりながら徒歩で福島区の自宅に向かいます。 ![]() 家にたどり着いた田辺さんは家族の無事を確かめ合います。 <お母さんは、私をみつけて、見る見る眼をうるませた。「聖ちゃん、家が……家がやけてしもうた……」その声は涙で曇って鼻声になっている。私は不覚にも涙がこぼれた。「あんたの本なあ、たくさんあったのが出してあげたかったんやけど、出すことが出来なんだ……」私は何も言えなかった。鼻がじんと痛くなり、涙がぽとぽと水槽の水の上へこぼれおちた。> 8月15日の日記は万年筆で丁寧に書かれた他のページとは異なり、黒々とした墨文字が踊ていたそうです。 <何事ぞ! 悲憤慷慨その極を知らず痛恨の涙滂沱として流れ肺腑はえぐらるるばかりである。>と無条件降伏を受け入れたことについて、軍国少女らしく、強い筆致で批判しているのです。 しかし、8月17日には校長先生から「アメリカのいう条件を日本は誠実に受け入れねばならない、かえって、アメリカを憎み、かるはずみなことをして秩序を乱しては、自縄自縛となる」と諭され、素直に受け入れたようです。 翌年4月23日の日記では、 <神風特攻隊の人々になんの悪いところがあろう。あの人たちは国のために、大君尾の為に死んで行ったのだと思う。皆、上の人々が悪かったのだ。若者の純情を弄んで、自分自身は安逸と懶惰に浸りながら、人民を塗炭の苦しみに陥れ有為の若者をあまた散らせてしまった……> と記し、軍国少女が終戦後1年も経たないうちに180度転換したことがわかります。 この日記の完全版は今秋、文藝春秋より単行本化されるそうです。またこの日記、発見のきっかけは、NHKから「田辺聖子と戦争」という内容の番組制作の話からだったそうで、夏には番組が実現するかもしれません。
by seitar0
| 2021-07-09 12:29
| 田辺聖子
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