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鳴尾運動場野球場で全国中等学校野球大会が開催されたのは大正6年(1917)第3回大会から大正12年(1923)の第9回大会までですが、その最後の第9回大会で、当時甲子園にあった甲陽学院が優勝したのです。 ![]() 写真は鳴尾浜公園にある鳴尾球場跡地の碑 甲陽学院出身の風見梢太郎の小説『浜風受くる日々に』でも甲陽学院の優勝が話題として登場します。 ![]() <「えっ、この学校優勝したことあるんか」「知らなかったの、甲子園の大会、あっ、正確には当時は鳴尾球場での大会だったけど、そこで優勝したんだよ」「知らんかったな。いつ頃」「戦前だよ。まだ中等野球大会の頃」「なんや、そんな昔か」「まあ、昔と言えば昔だけど。常連だった時期もあったらしいよ。有名なプロ野球の選手もいるよ」「それも知らんかった」「初出場で優勝したんだって。宇部商、松山商、早実、立命中、和歌山中に勝ったんだそうだ」「ふーん」「準決勝なんか、地元の学校が三つも出た四、特にこの学校は地元も地元だから、前の日から続々と人がつめかけて午前三時にはもう立錐の余地もないくらになたそうだ」> 鳴尾浜公園にある鳴尾球場跡地の碑には、第3回から第9回までのトーナメント表の銘板が埋められています。 ![]() その準決勝で大事件が起こったのです。 <「鳴尾球場って、隣駅の鳴尾にあったんやろか」「多分そうだと思う。それで、うちの学校と立命中の試合の時、試合見たさに、一塁側の観客がグラウンドになだれ込んで試合が中断したんだって。球場が狭いのが問題だということになって、それがきっかけで甲子園球場が作られたって話だった」> ![]() 上の写真は昭和17年の航空写真。左上に甲子園球場、右下に鳴尾競馬場がありますが、その大きさを比較すると鳴尾競馬場の中に、二つの野球グラウンドがあったことも理解できます。 第9回全国中等学校野球大会の様子は、舞坂悦治による元阪神電鉄専務・三崎省三の評伝、『甲子の歳』にも詳しく書かれています。 <甲陽学院対立命館戦が始まり、第一回の表は、甲陽が立命館を無得点におさえ、その裏、甲陽のトップバッターが、ワンストライク・ワンボールとなったとき、スタンドの前方にいた数人の観衆が、急に立ち上がって、大声で何事か叫び出した。次の瞬間には、グラウンドの模様が一変した。フェンス等の設備のないスタンドから、グラウンドに多数の観客が雪崩れ込んだのである。カンカン帽あり、麦わら帽あり、鉢巻きあり、ステッキあり、メガホンあり、思い思いにわめきながら、こぶしを上げ、手拭いなどを振って、抑え難い憤りを、ぶちまけているようである。このため試合の続行は不可能となった。学校の応援団も、興奮している群衆を、刺激することをおそれて、沈黙してしまった。一時間半にわたる中断の後に、再会された試合で、甲陽は勝った。さらに甲陽中学は、和歌山中学の三年連続優勝を阻んで、この大会で優勝した。> ![]() 鳴尾第一野球場の写真を見ると、移動式スタンドから簡単にグラウンドに雪崩れ込めたことがわかります。 この事件の翌年の大正13年・甲子年(きのえねとし)に甲子園球場(当時は甲子園大運動場)が完成し、第10回からは甲子園球場で開催されることになりました。 丁度、大正12年に(旧)競馬法が成立し、馬券の発売が再開されたこともあり、鳴尾競馬場からの撤退もうまくいったようです。 ![]() またこれを調べていると、甲子園大運動場の起工式は大正13年3月11日で、同年8月1日に竣工式が行われたと書かれています。 ![]() 上の写真は建設中の甲子園球場で、グラウンドの転圧のため牛がローラーを曳いています。(『鳴尾村史』より) こんな工法でわずか5か月足らずで甲子園球場が完成したとは、驚異的です。 ![]() 昭和11年の吉田初三郎の鳥観図を見ると、甲子園球場のむこうに甲陽学院が描かれています。風見梢太郎は『浜風受くる日々』で主人公・哲郎に、「そうか、それは面白い話やなあ。甲子園球場の恩人やな、うちの学校」と語らせていました。
by seitar0
| 2021-04-13 15:09
| 甲子園
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