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西村伊作が与謝野夫妻の勧めにより、理想の学校として設立した文化学院で与謝野寛は学院創立から昭和5年までの約10年間、晶子は亡くなる間際までの二十年余り教師を務めました。与謝野寛は『万葉集』、『古今和歌集』、『唐詩選』、フランス象徴派詩人、夫人晶子の作品から詩を選んで講義したそうです。
どんな教師ぶりだったか、文化学院に大正12年に入学し、3回生だった金窪キミさんが『日本橋魚河岸と文化学院の思い出』に綴られています。 「与謝野寛」先生からです <先生は授業を受け持ってはいらっしゃらなかったが、晶子先生とご一緒に殆ど毎日来られ、構内を歩き回って細かい注意をしていらっしゃった。右の手を握り締めて、左手の掌の中に右の拳をぶっつけて音を立てながら、「よろしか、よろしか」と念を押される。生徒は叱られることばかりであった。>とかなり厳しい先生だったようです。 ![]() しかし晶子先生にはやさしかったらしく、 <寛先生は晶子先生を大切にされ、晶子先生は寛先生を立てておられるのは美しかった。文化学院教員室はお二人の応接間のようで、いろんな知名人が訪ねてこられた。>と述べられています。 ![]() その後、大正10年西村伊作・与謝野寛・晶子らにより文化学院が創立した年、西宮市分銅町にあった薄田泣菫の私邸「雑草園」を西村伊作と与謝野寛が訪れた写真がありました。 ![]() 雑草園の縁側で撮った写真、左端が泣菫、右端が与謝野寛、中央の人物が西村伊作でした。当時大阪毎日新聞の学芸部長だった薄田泣菫が招いたのでしょう。 ![]()
西村伊作の生き方に大きな影響を及ぼした叔父とは、辻原登の小説『許されざる者』の主人公ドクトル槙のモデルで、大逆事件で処刑された大石誠之助でした。 1945年和歌山県に生まれた作者辻原登もまた、文化学院の卒業生でした。
by seitar0
| 2021-04-07 11:17
| 西村伊作
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