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大正10年(1921)創立の「文化学院」は西村伊作が長女アヤの高等女学校入学を前にして、既存の教育に疑問を持ち、子供のために自ら設立した学校でした。『我に益あり 西村伊作自伝』では、次のように述べています。 ![]() <そういう学校に入れるといろいろ束縛され、自由を制限されるものであるからかえって女の子の根性が悪くなって陰ひなたがあったり、偽りの行動をするようになる。それは私の子供の教育のためにいやなことだと思った。私は自分の子供のために学校を作ったらいいと思った。東京で買った土地でホテルをしようと思ったけれども、ホテルの代わりに少数の学生の来る学校を作ったらいいと思った。> ![]() そして、理想の学校の建物を自ら設計したのです。 <私は新宮の自分の家を建てた大工を東京へ連れてきた。そして私自身が建築の設計をして小さい校舎を建てた。工事をしているときに私が監督している写真などが新聞に出た。その学校の建物は私の好きな英国のコッティージ風な建物であって、それは少数の学生を入れる目的であったから学校のように見えない。> ![]() ルヴァン美術家ホームページによると、 <ルヴァン美術館の建物は、1921年に西村伊作が創立した文化学院の最初の校舎をほぼ再現しています。当時学校の校舎は殺風景な工場のようなものが多かったなか、西村伊作は、「美の教育のためには美しい学校を作らなくてはならない。(中略)学校の校舎や校庭が美しくなければならない。美しい環境が美しい心をつくる」(西村伊作人生語録『われ思う』より)という考えのもと、校舎らしくない住宅のような英国コッテージ風の建築と庭園を設計しました。> 西村伊作の「美しい環境が美しい心をつくる」は、W.M.ヴォーリズの学校建築に対する考え方と共通のものでした。 しかし、西村伊作が心を込めて造った初代文化学院の愛らしい校舎は残念ながら創立から二年目の大正13年(1924)の関東大震災で全焼してしまいました。 この頃、西村伊作は大原孫三郎らからの依頼により、「倉敷教会教会堂」を設計し、続いて大正14年(1925)に設立された「若竹の園」保育園の設計も行いました。 西村は設計にあたり、バンガロー様式を採用して、小さな棟を複数配置する図面を描き、森の中に立ち、庭に小川の流れる「おとぎの国」の夢のお城のような園舎に出来上がったそうです。 ![]() <第 1 回卒園生の藤原勝子は「そりゃ若竹が出来たときはびっくりしたもんです。まるで夢のお城のようじゃった。……家におもちゃも絵本もない当時、大積木や絵本のある若竹に通うのが楽しみで、家に帰ってもまた園に遊びに行くので、親にもう若竹の子になれと言われた」と述べている。> https://www.jstage.jst.go.jp/article/youjikyoikushi/11/0/11_38/_pdf/-char/ja ![]() 改めて「若竹の園」を見ると、関東大震災で焼失した「校舎らしくない住宅のような英国コッテージ風の建築と庭園」の初代文化学院を思い起こさせます。 西村伊作は初代文化学院の記憶を「若竹の園」に留めたかったのではないでしょうか。 西村伊作の若竹の園が永遠に残りますように。
by seitar0
| 2021-04-04 12:35
| 西村伊作
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