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明治40年に鳴尾には鳴尾速歩競馬会と関西競馬倶楽部の競馬場設立が認可され、二つの競馬場が相次いで建設されました。これは日清戦争・日露戦争において日本の軍馬が西欧諸国のそれに大きく劣ることを痛感した政府が、馬匹の向上と官民の馬産事業を振興するため、馬券の発売を黙許するとの方針を打ち出したためでした。 ![]() 上は二つの競馬場がある明治42年の鳴尾の地図。 しかし明治41年には馬券禁止令が出たため、二つの競馬場は成り立たず、阪神競馬倶楽部に統合され、鳴尾速歩競馬場は鈴木商店に売却されます。(後に鳴尾ゴルフ倶楽部となる) ![]() 残された鳴尾競馬場では、明治44年にアメリカのボールドウィン飛行団による飛行大会が開催され、大勢の観客を集めます。写真はスカイラーク号で飛ぶマース。 (ライト兄弟の有人動力飛行機の初飛行は明治36年でした) 明治33年(1900年)生まれの稲垣足穂は、幼年時代から始まった有人動力飛行機に憧れ、空に思いを馳せます。 ![]() 足穂が飛行機に強く憧れたきっかけは、鳴尾競馬場から日本の民間飛行家として初めて飛び立った武石浩玻の都市間連絡飛行での墜落死(大正2年。武石28歳 足穂12歳)だったといわれています。 ![]() その様子は彼の数々のエッセイに登場し、当時の鳴尾の風景が美しく描写されており、紹介させていただきます。 今回は『ライト兄弟に始まる』からです。 <風立ち易い晩春の昼過ぎ、大阪練兵場を飛び立った飛行機が、枚方辺りの霞の中に縮まって行って以来、六甲の山並も、春毎に西宮から神崎にかけて一望の花ざかりを打ち拡げる菜たねも、数十条の黒煙の髪の毛で天からぶら下がっている尼崎の工場地帯も、鉄橋の下に見える芦間の捨小舟も、薬や化粧品の広告の連なりも、野寺の甍も、所々にそびえているははき木も、自分にはなにか以前に見たものとは異なっているようであった。> これは5月4日、鳴尾競馬場から大阪の上等練兵場へ飛んでゆき、そこで一休みしてから京都伏見の深草練兵場に向かった時の様子を想像したもので、この時に武石浩玻の飛行機は墜落してしまったのです。 ![]() 稲垣足穂はこの日、腹痛のため行けなかったのですが、墜落死を知り大きなショックを受けました。 <私はある午後、近所の模型飛行機材料店の前で、二人連れで通りかかってふと足を止めた黒襟のお姐さんが、「これがひこうきとやら云うもんでっか。こんなものに乗ってキンダマを落とした人があるんですかいな」と連れの夏トンビ氏に云いかけていたのを、何故か忘れることができない。彼女の言葉は、馬橋京都師団衛戌病院長の発表として「頭蓋底骨折、右鎖骨及大腿骨折、右睾丸挫滅創云々」とあったのに出ているのであろう。> ![]() 更に稲垣足穂の『飛行機物語』などから大正時代の鳴尾競馬場の風景の紹介を続けます。
by seitar0
| 2021-03-14 08:45
| 稲垣足穂
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