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火垂るの墓のロマンティックバージョン『はやすぎた夏』から続けます。 俊夫は戦災者特配のお米を避難先で差し出します。 <翌朝、俊夫は三合分の米をさし出し、半分は小母さん家族と食べる雑炊分で、残りはふつうの御飯、母への弁当。燃料が余計に要るが別に文句もいわず、正月用らしい蒔絵のついた重箱につめてくれる。> ![]() 大火傷を負った母親は夙川河口の回生病院に入院していました。 当時は断水のため、礼子が近くのお屋敷の井戸に水汲みにでかけていました。 <礼子が三百米ばかりはなれた井戸へ水汲みにでかけ、俊夫も後を追って、「ええよ、はよいったげな、お母さん、お腹減らしてはるやん」礼子はさえぎったが、「寝たきりやもん、大丈夫やて」言葉つきも、なれなれしく、ついバケツの柄を二人で持って、俊夫はこんなとこ補導連盟にみつかったらどないやろと思う。姉妹と歩いても学校へ通告され、仕置きをくうのだから、ただごとではすまず、しかし、その学校も完全に焼けている。> 野坂昭如は寄寓先の二歳年上の女性と夙川沿いをよく歩き、戦時中も開いていた喫茶パボーニににも立ち寄っていました。 ![]() 野坂昭如の自伝的小説『行き暮れて雪』では、 <数え年十六と十八、はじめ年上を意識したものの、それはすぐ薄れて、なんといっても戦時中、男手は頼りにされた。断水がしばしばで、ベアリング会社社長宅の井戸まで水汲み、裏山で薪拾い、壕の整備>と書かれており、調べますと避難先の家から約300メートルのところに某ベアリング会社の初代社長の邸宅があったことがわかりました。 ![]() 水汲みに行った井戸があったお屋敷は、分割されたのか小さな区画に変っていまたが、長く続く石垣が昔の屋敷跡を思わせます。 水汲みに行った時の記憶を野坂昭如は高畑勲監督に話していました。 野坂昭如『わが桎梏の碑』に、高畑勲監督がアニメのラストシーンで「埴生の宿」を採用するに至った理由が次のように書かれています。 <寄寓先もしばしば断水、あたりは日本有数の高級住宅地で、どこにも井戸を持つ、ここへも貰い水。若い女性が四、五人、庭に面した涼しげな夏座敷で、戦争などどこ吹く風、華やかな笑い声を立て、ある時、ピアノ伴奏で「埴生の宿」を合唱していた、この思い出を、アニメーション監督の高畑勲氏に告げ、ラストシーンのヒントになったらしい。> ![]() <礼子とバケツを中に歩くのが晴れがましく、井戸につくとポンプを押して、きらきらと陽光に輝く水は、水というよりも、高貴なものに思え、ぜい沢な感じだった。「ここの井戸深いんよ、他はみな涸れたり濁ったりしてるけど、ここだけは大丈夫や」二人ともはだしだから、水のはねかかるのを気にかけず、あふれるほど汲んで、どっしり重いそれをまた双方から共に持つ。防空訓練のバケツの水は半分がとりきめで、それは火に向けてかける時、いっぱい入れても半分はむなしく地面にこぼれるからと説明された。「水一滴たりとも貴重な資源である」町長が訓示した。歩みにつれてバケツが揺れ、水が足にかかる、家へ運びこむと、今度は、水源池へおりて、足を洗う。> と礼子とニテコ池の近くで過ごした思い出が続きます。 この小説では野坂昭如が連れていた1歳数か月の義妹は、記憶を消し去るかのように、まったく登場しません。
by seitar0
| 2021-03-05 14:11
| 野坂昭如
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