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野坂昭如は小説『火垂るの墓』の舞台となった満池谷について、後に『アドリブ自叙伝』で次のように述べています。 <阪急夙川駅から、甲山の方角、つまり北へ向かって、約十五分、ニテコ池がある。あたりは満池谷といわれ、日本でも有数の高級住宅地、十四歳のぼくでさえ、その名を知っている大会社の、社長が本宅、別宅を並べていた。> ![]() ニテコ池の西側には名次山・南郷山に邸宅が連なっています。 また昭和20年7月、野坂昭如は避難していた満池谷の親戚を出て、空き家になっていた南郷山の邸宅に作られていた横穴壕に暮らしたことを自伝的小説『ひとでなし』で明かしています。 <西側の崖に、神戸市の古い金庫メーカーの住まいがあり、コンクリートで固めた横穴壕を造り、そのまま家族は疎開、空いていた。ぼくと妹はここへ移り、律子が座布団、薄べりを持ってきてくれた。配給は高瀬家へとりに行く、野草まじりの雑炊を妹に食べさせ、主食代わりの酒黒松白鹿も空、後は畠の野菜を盗むしかない。よく外出する未亡人の留守、律子が兄の下着や靴を持ってきてくれた、戦争がどうなっているのかまったく判らない。> 名次山が高級住宅地として開発された経緯は前回紹介しましたが、名次山の南に連なる南郷山も同時期に開発されました。 ![]() 開発が始まった昭和7年の地図を見ると、南郷山(黄線)は針葉樹林(おそらく松林)に変っており、ニテコ池の南側には戦時中、野坂昭如が疎開した家(赤矢印)が既に建てられていたことがわかります。 ![]() 上の写真はアメリカ空軍が終戦直後に撮影したニテコ池、満池谷の航空写真。赤矢印が野坂が疎開していた家の位置です。 南郷山の開発についても、坂本勝比古『住宅総合研究財団研究年報』No.21,1994「阪神間の住宅形成に関する基礎研究(2)」に詳しく紹介されていました。 <この住宅地は西宮市の西部を流れる夙川の東、南北に長い尾根状の地形の上に載るかたちで形成されている。離れてこの地を見ると緑に覆われた丘陵地に大きな屋根を持つ邸宅が木立の中に見え隠れする。> ![]() 現在の地図の黄線で囲ったところが、当初開発された南郷山分譲地です。 <南郷山を開発分譲したのは住友信託銀行(株)であった。入手した南郷町の分譲案内によると、区画数は63区画、平均坪数は100坪台30区画、200坪台17区画、300坪台2区画、400~500坪台6区画、600坪1区画、60~100坪台4区画、保留3区画となっている。道路は尾根に沿ってなだらかな曲線を描き、北へ行く程稜線は高くなっていく。宅地は、この尾根の道路に沿って東西に配置され、周辺の住宅地より一段高い丘陵であるため、各宅地からの見晴らしは良好である。> ![]() 南郷山の尾根から西側を見た光景。六甲山と夙川の松並木が見えますが、昔は高層建築物や住宅も少ななく、もっと自然味のある風景だったことでしょう。 ![]() 当時造られた南郷山児童公園、今もありますが、さすがお屋敷街であまり児童が遊んでいるのを見かけたことがありません。 また開発した住友信託銀行(株)は品位ある高級住宅地として永く残したいとし、買手の身元や職業も一々調査して厳選し、断られたところも相当あったそうです。 ![]() 上の写真の左側は、南郷山のお屋敷の中でも一際目につく、上野製薬のゲストハウス「太陽の家」。ネットで優れた社会貢献活動が紹介されていました。 https://www.osaka21.or.jp/publishing/e-book/no104/p10.pdf しかし、南郷山にも更地が出始めました。 こちらは、昔は洋館風のお屋敷があったところに建てられた集合住宅「南郷山レジデンツ」。 ![]() 上の写真の門の奥に広い中庭があるのが印象的です。 一粒社ヴォーリズ建築事務所の建築で、ホームページには、 「ヴォーリズ建築の系譜を引継ぐ渾身の住宅建築。閑静な住宅地に4世帯が一棟の建物に住まう、現代の集合住宅、これからの生活形態の一つの答えかもしれません。コミュニティーが保たれる最小単位の住居、実りある生活の拠点として存在価値を示します。住む人を選ばない上品なつくりを提供します。」と謳われていました。 http://palashio.com/design/211977-2/ ![]() この空き地にはどんな建物が建つのでしょう
by seitar0
| 2021-01-31 13:14
| 満池谷
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