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奈良時代から平安時代にかけては、津門の入り海と松原が見晴らせる名勝・名次山でしたが、名次山が現在のような高級住宅街になるまでに、どのような変遷があったのでしょう。 ![]() 江戸時代までは名次山は、丘の上にあった名次神社の境内でしたが、明治4年の上知令により、社寺有林が明治政府に編入され、名次山も名次神社の境外官林、「名次官林」となりました。 ![]() 明治18年の大日本帝国陸地測量部地図を見ると、当時は名次神社は名次山の中心にあったことがわかります。本殿のような建物も書かれており、この位置は現在は某有名落語家がお住まいの高級マンションの位置です。周りは荒れ地、道の整備も進んでいなかったようです。 ![]() その一環だったのでしょう、名次山の丘陵地帯3町歩(約3万平米)は明治42年に大阪にある杉村倉庫(株)に払い下げられました。 この時期は、名次神社由緒に書かれている「明治41年(1908)5月、名次山の中央部から現在地へ遷座しています」と一致しており、官林払下げが遷座の理由だったことがわかりました。 ![]() 昭和7年1月の地図を見ると、名次神社は現在の地に移っています。また明治時代は荒れ地だった名次山は針葉樹林となってり、明治以降官有林となり、植林が進んだのでしょう。 昭和5年になって杉村倉庫は名次山一帯を高級住宅地として開発します。阪神間モダニズムと呼ばれる郊外住宅地が開発された時代でした。 この開発経緯は坂本勝比古『住宅総合研究財団研究年報』No.21,1994「阪神間の住宅形成に関する基礎研究(2)」に詳しく紹介されていました。それによると、 <南北の中央道路の東側の区画が大きく、240坪代から500坪まで7区画、西側は100~188坪まで14区画の分譲がなされた。> ![]() <この分譲地で注目される点は、購入者に社会的地位の高い人が多いことで、特に住友系企業の重役クラスの名前が見られる。例えば古田俊之介(住友総理事)、岡崎林(住友銀行頭取)、今村幸男(住友信託専務)らが住まい、また中根貞彦(三和銀行頭取)、岩井豊治(岩井商店主)らの名前が見える。更に松下幸之助もこの地に住まいを構えた。> 古田俊之介邸、岡崎林邸、今村幸男邸は建築家武腰建造の設計で名建築だったそうです。 また中根貞彦邸は大林組住宅部の設計による数寄屋風の格調高い住宅だったそうですが、現存しません。 ![]() こちらはニテコ池側から上がって来た名次山の頂上付近。左手が光雲荘で、戦時中は松下むめの夫人は、強盗を避けてこの土蔵で暮らしたそうです。 ![]() また、この坂道はアニメ『火垂るの墓』の最後のシーンで、戦時中にもかかわらずスカート姿の若い女性が邸に入って行く場面にも使われました。 しかし、このようなお屋敷街もぽつりぽつりと大きな更地ができ、集合住宅や分譲地になるのでしょう。 もう10年も経てばまた違った景色になっていることでしょう。
by seitar0
| 2021-01-29 14:14
| 満池谷
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