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阪田寛夫は大の阪急電車・宝塚ファン。元宝塚歌劇団花組トップスターの大浦みずきさんは阪田寛夫の次女です。阪田寛夫も帝塚山学院小学校で、夏には林間学舎「仁川コロニー」に来ていました。昭和10年頃のお話です。 その時の体験が、『わが町』の「宝塚」の章に面白く書かれていました。 ![]() <小学校五年生の時、私のクラスの三分の二は宝塚ファンであった。それはたぶん、クラスを牛耳っていた早熟な分子が、その姉たちから受けたよくない影響を、学級の中まで持ち込んだためだ。幸か不幸か、私たち小学校は、宝塚から四つ目の仁川駅の近くに林間学舎を持っていた。昭和十年前後のことである。> ![]() この林間学舎が庄野潤三『早春』に詳しく紹介されていた仁川コロニーです。 <仁川の町は、川の両側に三ブロックくらいづつ分割された閑静な細長い住宅街だった。まだ家が建たず、石垣や石段だけを築いた空地が多く、赤松の林との境目がはっきりしない。この赤松林こそは、私たちのカブト虫の狩場であり、絶好の謀議の場所であった。> ![]() その住宅地にはタカラヅカの生徒たちも住んでいたようです。 <仁川駅のプラットフォームで背のびすると、宝塚が見えそうな気がする。松林に赤い屋根が点在する丘や小山を縫って、夕方の電車は宝塚からの緑の袴の生徒たちを運んでくる。仁川の町にも、その何人かが住んでいたから大変だ。ここがヨッちゃん(春日野八千代)の家、あれが嵯峨あきら、と私たちは夕方の自由散歩の時間を、おおむね宝塚の生徒の家めぐりに費やした。> 阪田寛夫は五年生の夏休み、10日間仁川コロニーで暮らした時、れいの松林でレビュー見物に宝塚に行けるよう、受け持ちの先生の心を動かそうと謀議をめぐらせます。 ![]() 松林の謀議で仲間の一人、イトー君が、ヨッちゃんの家へ行って、ベルを鳴らして、出てきた春日野八千代さんにわけを話せば、きっとうまくとりなしてくれるだろうと言い出します。 <決死隊に選ばれたのはイトー君と、私と、もうひとりの少年であった。夕闇の道を、決死隊は静かに出発した。郵便局の隣の石井というベルを押すのが私の役目で、出てきた春日野さんに一切の事実を吐露して協力を頼むのはイトー君の役、もう一人は路上の監視、というわりふりがきまった。> 春日野八千代さんが住んでいたのは、どうも仁川郵便局の隣の石井さんのお宅。 ![]() このあたりに住んでいたのでしょう。 <私はしっかりベルを押した。しかし、誰も出て来なかった。「鳴ってへんのとちがうか」イトー君がうたがわしげに私を見た。「もっと力入れや」私はやけくそに力をこめて、白い突起を押しつづけた。扉の開く音がした。そのとき、「来たあっ!」と叫んで先ず逃げ出したのはイトー君であった。堤の道をイトー君は、みんなのいる松林とは反対の川下へ逃げた。私ともうひとりは、川原へ逃げた。> ![]() この章の最後は、 <仁川の林間学舎も、のちには宝塚の劇場さえもが予科練の兵舎になったが、私のまだ見ぬ宝塚へのあこがれは、その後もなお覚めることろがなかった。> と結ばれていました。
by seitar0
| 2021-01-15 22:03
| 阪田寛夫
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