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庄野潤三『早春』には、甲東園にあった帝塚山学院の林間学舎「仁川コロニー」の設立には芝川又四郎の支援が大きかったことが記されています。 <シャーロッテンブルグの赤松の林の中で先生たちの話を聞きながら、「私がかねて考えていた森の学校をここで見たのである。郊外電車が発達したから、子供を一時に輸送して郊外で教育する必要がある。わが学院の如きもつまり森の学校であったのである」と考えた父にとってお誂え向きともいうべき敷地と建物を見付けてくれたのは、この甲東園に広大な果樹園を持っておられた芝川又四郎氏であった。この芝川さんは、父が外遊から帰った翌年の秋に、帝塚山学院の南側に幼稚園の敷地と建物を寄贈した方でもあるが、父のよき理解者であった。> ![]() 上の地図は昭和10年の甲東園と森の学校「仁川コロニー」の位置。 もともと仁川コロニーの敷地には、甲東園を開発した又四郎の父・又右衛門が、大正時代に、敷地の千五百坪と校舎の建設費を寄付し、銀星学院というカトリック系の小学校を設立していましたが、経営がうまくいかなくなり、廃校になっていました。 それを、近い将来、小学校校舎を帝塚山学院が買い取るという条件で又四郎が帝塚山学院に無償提供したのです。 マッサンでも有名になった芝川家ですが、甲山を背にして甲東園(現・上甲東園)に立つ芝川又右衛門邸の写真がありました。 ![]() 赤の線で囲んだ所が、写真の芝川邸の位置です。 また大正11年に西宝線(現在の今津線)に甲東園前停留所(現;甲東園駅)が新設されましたが、この設置に寄与したのが芝川又右衛門で、一万坪の土地と軌道用地・駅舎建設費を阪急に寄付することで、実現したのです。 中村直人『歴史のなかの上ヶ原』でも詳しく説明されていました。 ![]()
これらの果物は阪神方面に出荷されましたが、経営は赤字続きだったそうです。 <西宝線の開設にあたり、又右衛門は阪急の小林一三に、甲東園付近に鉄道停留所を新設するように要請しました。小林は渋ったらしいですが、前述のように又右衛門が土地と資金を提供する条件で、停留所の新設が決まりました。停留所の周囲はかつて一面モモ畑だったそうです。蛇足ながら、阪急は無償で入手した停留所前の一等地に宅地を造成し会社幹部の間で分配しています。> ![]() これが、分配された宅地だったのではないでしょうか。 甲東園前停留所設置を皮切りに、甲東園地区の住宅地経営が推し進められていくことになります。また、芝川家も「百又」という会社を創立し、都市計画業者の指定を受けると甲東園の住宅地開発を進めました。この際、分譲された芝川家の敷地は、約十万坪という広大な土地でした。 その結果だと思いますが、甲東園という名前の果樹園は今やなく、一帯は住宅地となり昔の面影はほとんど残されていません。 ![]() しかし、ただ一つ、甲東公民館にある甲東梅林は、芝川家の甲東園に植栽されていた梅の木が隣の甲陵中学校内に残り、それが移植されたものです。 ![]() 「くすの木通り」の楠も農園時代に植樹されたものだそうです。
by seitar0
| 2021-01-13 18:06
| 甲東園
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