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ロミ山田さんは幼児洗礼を受けておられ、洗礼名は「小さき花のテレジア」。受洗されたのは、おそらく戦前の芦屋にお住いの頃かと思います。 ![]() また、戦時中の昭和二十年、小学校六年の六月に夙川の家から疎開されるまでは、小林聖心女子学院に通われ、自叙伝『楽譜を抱いて』に次のように述べられています。 ![]() <疎開の前あたりの頃は、歌どころではありませんでした。いえ、学校の授業どころでもありませんでした。ウーッと空襲警報のサイレンが鳴ると、校舎の地下に防空頭巾を被って逃げ込んでばかり。隣の川西市に軍需工場ありましたし、空襲は本当にしょっちゅうでした。> ここで述べられているのは、川西市ではなく、現在の阪神競馬場にあった川西航空機宝塚製作所のことだと思われます。 ![]() <黄昏、B29は紀伊半島を抜けて海に去りました。おそろしいほど静かです。二時間前のあの爆撃がもたらした阿鼻叫喚の地獄絵もまるでうそのように静かです。三時間のあいだ河西工場をなめつくしたどす黒い炎も消えましたが、なにが爆発するのでしょう、にぶい炸裂がひびのはいった窓にかすかに伝わってきます。> この爆撃があったのは昭和二十年七月二日のことであり、遠藤周作は母、郁の仁川の家に帰ってきて目撃したのです。(ロミさんは六月に既に疎開されていますので、目撃はされなかったでしょう) ![]() 小学六年だったロミさんは学徒動員されることはなかったようですが、昭和四年生まれの須賀敦子さんも当時、授業がなくなり川西航空機の学校工場となっていた小林聖心で、航空機の部品製作に携わられていました。 ![]() 終戦後、ロミさんは一家が疎開先から戻る前に、しばらく小林聖心の寄宿舎に入られます。 <日曜日の御ミサに、近所の方々に加えて、進駐軍の姿が見え始めたのはその頃です。彼らは宝塚にキャンプしており、一番近いカソリックチャーチが聖心のチャーチでしたので、毎週日曜日にカソリックのつとめとして足を運んできました。日曜も学校にいる私たちがマザーに仰せつかったのは、御ミサで賛美歌を歌う役目。> ![]() このように当時のお話を整理していると、小林聖心の人脈にも驚いてしまいます。
by seitar0
| 2020-11-25 12:26
| 宝塚
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