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田辺聖子さんは、昭和3年生まれ。生家は裕福な写真館で、『田辺写真館が見た"昭和"』では、次のように述べられています。 ![]()
![]() 昭和22年樟蔭女子専門学校を卒業された田辺さんは大阪の金物問屋に就職し、昭和29年まで勤めていましたが、傍ら文芸同人の『文芸首都』『大阪文学』にも参加していました。 そして、昭和30年からは、大阪文学学校の夜間部に在籍しており、昭和31年に、『虹』で大阪市民文芸賞受賞(ペンネーム「木下桃子」)を受賞し、本格的な作家活動に入っています。 『虹』は金物問屋に勤めた経験や、その後の失業当時、お母様が生活を支えてくれていた時代のご苦労を基に脚色された自伝的小説に近い作品です。 <八方塞りだった。手も足もでなかった。失業して一年半になる。いい年をして、わたしは母に食べさせて貰っていた。わたしがまるで恥ずかしいことみたいに、背を向けて履歴書を書いていると、母はかなしくいうのだ。「いまどき、あんたなんかに職がありますかいな。むだやから、止めなさい」> ![]() 当時、田辺聖子さんの母親は西宮市水道局に勤められていました。 <わたしと母は、水道集金人の母の給料で、今のところどうにか食べつないでいるが、二間のボロ家にせよ、一軒かまえるとなると、家賃、電灯、ガス、水道、とのっぴきならぬ出費が厳然とたちはだかって、乏しい母ひとりの稼ぎでは追いつかなかった。> さて、田辺さん当時の母親の姿を次のように描いています。 <働けるといったって、母の体はいまでもガタピシゆるんでいた。神経痛がおこり、すぐ肩が凝る。昔は瘦せすぎながら、疲れを知らず頑健だったのに。母は骨の突き出しそうなこの痩せた体で、山坂の道を上り下りし、あえぎながら水道料を集金してまわるのだ。油照りの夏も犬に咬みつかれ、どなられたりしながら、冬は六甲おろしの、容赦ない北風に吹き巻かれて、西宮の山地をめぐる。水道ヤのオバハンと呼ばれ、お仕着せの黒っぽい上衣を着せられた背を丸め、おむつ入れのように不格好な黒鞄を重げに腕にかけ、木綿の靴下をはいて、考え沈みながら歩いている母の姿を、わたしは思いえがく。> 後日、このように描かれたことを知った田辺さんの母親は、なんであんなにみすぼらしく描いたのかと怒られたそうです。 ![]() <鶏の足のように細いスネで、たよたよと一日に何里もあるくのだ。家が戦災にあう前、夫に死なれる前までは「ご寮人さん」と呼ばれた母が、おちぶれた、おちぶれたと嘆きながらしかし、母には卑屈さがない。懐炉をいれる別珍の袋に楽しげに刺繍をし、背中へ負って、凍る霜のみちを毎朝はやく出かけていくのあった。母は運命に無抵抗でいながら柔軟で折れなかった。> ![]() ![]() ![]() 更に大都市ではスマートメーターなるもので、無線で情報収集できるようになっているようで、近い将来検針員の方の姿も見かけなくなるでしょう。 次回は『虹』に描かれた西宮の風景について。
by seitar0
| 2020-11-18 22:09
| 田辺聖子
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