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子供時代を神戸で過ごしたルドルフ・ヴォルフガング・ミュラーさんの『二つの文化の狭間に生きて あるドイツ少年の回顧録』を読んでいると、昭和14年から昭和19年まで過ごした北野町の家は、なんと神戸北野異人館街に今も残っているパラスティン邸であったことがわかりました。 ![]()
![]() この写真は日本語版の表紙にも使われています。 <ようやくずっと後になってこの家がParasutinという名前のロシアの高官、おそらく1920年に赤軍に敗れた後に日本へ逃れてきた白軍の生き残りの所有だったと知りました。1980年に私は、彼を訪ねました。彼はその家のヨーロッパ風の部分を英国人に貸していて、恐らくその家賃で生活していたのでしょう。> 昭和55年にはまだパラスティン氏も御存命だったようです。そうすると、ミュラー一家もパラスティン氏から借りていたのでしょう。 <彼自身はその裏に日本的につくられた建物を持っていました。その家の、私達のかつての台所で私達は話をしたのです。時には日本語で、あるいは英語で、彼はかなりの高齢で、耳に大きな真鍮製の耳用の管(ラッパ風の)を付けていました。後になってから私は六甲山麓にある外人墓地に、彼のロシアの十字架のついたお墓を訪ねました。> この家は神戸大空襲の爆撃にも会うことなく現存していたのです。ひょっとすると、占領後の進駐軍の宿舎を確保するため、北野町の爆撃は意図的に避けたのかもしれません。 ところが、1986年にミュラー氏が妻にその家を見せるために来た時には、一旦取り壊されていたのです。 ![]() 上は解体中の写真。 その時、建築業者指導者の井上氏に連絡し、部材とインテリアが保存されていることを知り、瓦をもらいます。 <瓦はその時以来、我が家の居間に飾られています。井内さんは私と長く話をしていた際に、この家が全く以前と同じように建てられることを断言してくれました。> そして1988年にミュラー氏が妹と訪ねた時、以前と同じようにそこに家が建っていることを確認しています。 <ただ入り口だけがより豪華になっていて、昔と同じく豪華な花崗岩の屋外階段に通じるようになっていて、それを通じて道路へと行けました。私はこの家の社員たちに中に入りたいと頼み込みました・そこは豪華にもファッション会社SoruRebante,SolLevanteの展示売り場となっていました。驚くことに、本当に細かい点に至るまで以前の家と同じでした!> 老朽化が進んで解体し、元のまま復元したのでしょう。 そのかげで大震災にも倒壊しなかったようです。 ![]() 上は1995年の写真。 その後もミュラーさんは何度もこの家を訪ね、一度はベルリンで知り合った小田実とも訪ねています。 現在は喫茶店になり、結婚式の披露宴も行われているようです。 ![]() <この家自体は数年後には、ここから更に上にあった天満宮神社の神官長のものとなって、今や彼の娘であるフランス語の達者なロマン語の研究者によって管理されています。安堵の気持ちです。彼らはこの地域での日本とヨーロッパ両国の住居上の関係に多く尽力したのでした。> ミュラーさんのパラステイン邸が残されて良かったです。 わずか5年暮らした家ですが、ミュラーさんにとっての大切な故郷の家はパラスティン邸だったのです。
by seitar0
| 2020-10-26 13:18
| 神戸
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