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『ある愛の旅路』から続けます。白系ロシア人のポーラ・ネニスキスはリトアニア人のジョーと結婚し、ポーラの母と共に神戸の山本通りに戦時中も暮らしていました。 夫のジョーはユダヤ人ではありませんでしたが、ゲシュタポと噂されているドイツ人ミスター・Kが頻繁に家を訪れるようになります。 戦時中の日本人にとって、ユダヤ人であろうとなかろうとドイツから来た人はドイツ人であり、ナチスの人種イデオロギーにほとんど無関心だったようです。しかし、ドイツ大使館を中心とするドイツ人社会ではナチスの日本支部が結成され、活発な活動が行われていました。 ![]() <マイジンガーは、ドイツの警察権の及ぶ場所でなら自分が指揮してとっくに直接行動に及んでいただろうが、日本では特高に協力して間接的に同国人を取り締まることしかできなかった。ただし、その実態がどのようなものだったかは詳しくはわかっていない。> スパイの巣窟だったと言われる戦時下の神戸でもゲシュタポは活動しており、ユダヤ人たちと親しくしていたポーラの一家は、夫のジョーがスパイの疑いをかけられ、ミスター・Kの密告により、昭和20年5月7日憲兵隊に捕らえられます。 <憲兵隊は、阪神間の海岸沿いを走る阪神電車の尼崎駅で降り、そこから私の足でたっぷり半時間のところにあった。駅より山寄りだったのか、それとも海の方に向いて歩いていったのか、思い出そうとしても思い出せない。駅から憲兵隊までは、野菜畑と、ところどころに水田の散らばる一本道で、バスも走っていなければ、田畑に出て働く人影もない。低い軒の農家が道沿いにポツンポツンと、うずくまるようにしてあるぐらいだったものだから、毎朝尼崎の改札口を出るたびに、空襲が心配でならなかった。> 尼崎憲兵分隊は大阪憲兵隊築港憲兵分隊尼崎憲兵分遣隊として発足。昭和18年に尼崎憲兵分隊に昇格し、昭和20年には神戸地区兵隊尼崎憲兵分隊となり、終戦を迎えています。 約三か月間の拘留の後、戦争が終わってようやくジョーは釈放されますが、拷問により肉体も精神も衰弱しきっていました。診察したドクター・ハイマーは次のように告げます。 <ざっと診断して、舌に薬を塗ってさしあげたが、とても悪い。憲兵隊で、相当打たれたんでしょうなあ、背中にムチの跡が無数に残っています。それに問題は、ひどく怯えていることです。人間が全く信じられなくなっている。ムチの傷跡の話にはみなさん触れないでいただきたい。知らん顔をしているように。> ジョーは十月半ば神戸から立川のアメリカ軍空軍基地病院に入院し、ようやく回復。 村野藤吾の設計による「そごう百貨店」は2003年に解体されてしまいましたが、空襲の被害は外観からはあまり受けていないように見えます。 昭和10年に開業した十合百貨店はガラスブロックとモザイクタイル貼りの壁面上に長大なルーパーで正面全体を構成した藤吾のモダンなスタイルが、ヴォーリズの重厚なデザインの大丸と好対照だったそうです。
by seitar0
| 2020-10-12 10:54
| 神戸
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